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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-26-21 世子尚豊の、進貢のため正議大夫蔡延等を遣わす符文(一六二六、二、九)
琉球国中山王世子尚(豊)、進貢の事の為にす。
今、特に正議大夫・使者・通事等の官の蔡延等を遣わし、咨を捧じ表を齎しむ。船隻に坐駕し、馬四匹・硫黄一万斤を載運して京に赴き進奉す。差去する員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。合行に給照すべし。今、仁字第十三号半印勘合符文を給し、都通事鄭藩献等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
正議大夫一員 蔡延 人伴八名
使者一員 馬加美 人伴五名
都通事一員 鄭藩献 人伴四名
存留在船使者二員 倪士 加寿耆 人伴四名
存留在船通事二員 紅春貴 梁廷標 人伴四名
管船火長・直庫 二名 加里 馬使
右の符文は都通事鄭藩献等に付し、此れに准ぜしむ
附搭の土夏布二百匹
天啓六年(一六二六)二月初九日給す
符文
注*『明実録』天啓六年八月壬戌、十月甲寅、十一月辛巳、七年二月丁巳、三月乙未の各条が関連する記事か。
(1)紅春貴 一五九五-一六二九年。久米村紅氏(和宇慶家)七世(『家譜(二)』二〇二頁)。
琉球国中山王世子尚(豊)、進貢の事の為にす。
今、特に正議大夫・使者・通事等の官の蔡延等を遣わし、咨を捧じ表を齎しむ。船隻に坐駕し、馬四匹・硫黄一万斤を載運して京に赴き進奉す。差去する員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。合行に給照すべし。今、仁字第十三号半印勘合符文を給し、都通事鄭藩献等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
正議大夫一員 蔡延 人伴八名
使者一員 馬加美 人伴五名
都通事一員 鄭藩献 人伴四名
存留在船使者二員 倪士 加寿耆 人伴四名
存留在船通事二員 紅春貴 梁廷標 人伴四名
管船火長・直庫 二名 加里 馬使
右の符文は都通事鄭藩献等に付し、此れに准ぜしむ
附搭の土夏布二百匹
天啓六年(一六二六)二月初九日給す
符文
注*『明実録』天啓六年八月壬戌、十月甲寅、十一月辛巳、七年二月丁巳、三月乙未の各条が関連する記事か。
(1)紅春貴 一五九五-一六二九年。久米村紅氏(和宇慶家)七世(『家譜(二)』二〇二頁)。