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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-25-36 国王尚元の、進貢謝恩のため長史蔡朝用等を遣わす符文(一五六七、二、一七)
琉球国中山王尚元、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に長史蔡朝用・使者亜応蘇等を遣わし、表文一通を齎捧せしむ。本国の小船一隻に坐駕し、馬四匹・生硫黄五千斤、及び護送の通事紅文綬等の船内に馬二匹・生硫黄五千斤、共に生硫黄一万斤・馬六匹・鍍金銅結束線紮靶紅漆鞘腰刀六把・鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀六把・蘇木一千斤を装載して京に赴き進貢し謝恩し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
長史一員 蔡朝用
使者一員 亜応蘇
都通事一員 鄭禄 人伴一十八名
存留在船使者一員 馬南比
存留在船通事一員 林世昌 人伴四名
国王附搭の蘇木二千斤
嘉靖四十六年(一五六七)二月十七日
右の符文は長史蔡朝用・都通事鄭禄等に付し、此れに准ぜしむ
進貢謝恩等の/事の為にす 符文
注*この進貢は『明実録』隆慶元年年十一月丁丑の条の記事に該当すると考えられる。
(1)林世昌 ?-一五七四年。久米村林氏(名嘉山家)五世。明へ二度、暹羅へ一度使する(『家譜(二)』九二一頁)。
(2)嘉靖四十六年 前年十二月に嘉靖帝が死去したことがまだ知られていないためで、実際は隆慶元年にあたる。
琉球国中山王尚元、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に長史蔡朝用・使者亜応蘇等を遣わし、表文一通を齎捧せしむ。本国の小船一隻に坐駕し、馬四匹・生硫黄五千斤、及び護送の通事紅文綬等の船内に馬二匹・生硫黄五千斤、共に生硫黄一万斤・馬六匹・鍍金銅結束線紮靶紅漆鞘腰刀六把・鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀六把・蘇木一千斤を装載して京に赴き進貢し謝恩し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
長史一員 蔡朝用
使者一員 亜応蘇
都通事一員 鄭禄 人伴一十八名
存留在船使者一員 馬南比
存留在船通事一員 林世昌 人伴四名
国王附搭の蘇木二千斤
嘉靖四十六年(一五六七)二月十七日
右の符文は長史蔡朝用・都通事鄭禄等に付し、此れに准ぜしむ
進貢謝恩等の/事の為にす 符文
注*この進貢は『明実録』隆慶元年年十一月丁丑の条の記事に該当すると考えられる。
(1)林世昌 ?-一五七四年。久米村林氏(名嘉山家)五世。明へ二度、暹羅へ一度使する(『家譜(二)』九二一頁)。
(2)嘉靖四十六年 前年十二月に嘉靖帝が死去したことがまだ知られていないためで、実際は隆慶元年にあたる。