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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-25-33 国王尚元の、進貢謝恩のため王舅源徳等を遣わす符文(一五六一、九、一三)
琉球国中山王尚元、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に王舅源徳を遣わし、長史蔡朝器等と同に、表文一通を齎捧せしむ。海船一隻に坐駕し、馬六匹・生硫黄一万斤・金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・紅漆螺鈿鞘鍍金銅結束衮刀二十把・紅漆鞘鍍金銅結束衮刀一十把・紅漆螺鈿鞘鍍金銅結束腰刀二十把・紅漆鞘鍍金銅結束腰刀四十把・黒漆鞘銅結束腰刀八十把・鍍金銅結束線穿鉄甲一領・鍍金銅線穿手套一付・線穿鉄護腿一付・貼金鉄護臁一付・頭盔一頂・金箔彩画屛風一対・両面泥金扇二百把・泥金水墨画扇二百把・貼片金水墨画扇一百五十把・貼金穿馬鉄甲二付・貼金馬鉄面二個・象牙二百六十斤・蘇木二千斤・番錫五百斤を装載し、京に赴き進貢し謝恩し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
王舅一員 源徳 人伴一十名
長史一員 蔡朝器 人伴一十名
使者一員 馬嘉寧 人伴五名
都通事一員 沈文 人伴三名
存留在船使者二員 兪良金 呉蒙達 人伴四名
存留在船通事一員 鄭祐 人伴二名
国王附搭の蘇木二千斤
嘉靖四十年(一五六一)九月十三日
右の符文は長史蔡朝器・都通事沈文等に付し、此れに准ぜしむ
進貢謝恩等の/事の為にす 符文
注*この進貢については『明実録』嘉靖四十一年六月癸丑の条に記事がある。なお郭汝霖『使琉球録』巻末の題奏によれば、この進貢は冊封に謝するもので、冊封使と同時に那覇を出立した。
(1)三名 対応する執照〔三〇-二六〕には四名とある。
(2)四名 〔三〇-二六〕には二名とある。
琉球国中山王尚元、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に王舅源徳を遣わし、長史蔡朝器等と同に、表文一通を齎捧せしむ。海船一隻に坐駕し、馬六匹・生硫黄一万斤・金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・紅漆螺鈿鞘鍍金銅結束衮刀二十把・紅漆鞘鍍金銅結束衮刀一十把・紅漆螺鈿鞘鍍金銅結束腰刀二十把・紅漆鞘鍍金銅結束腰刀四十把・黒漆鞘銅結束腰刀八十把・鍍金銅結束線穿鉄甲一領・鍍金銅線穿手套一付・線穿鉄護腿一付・貼金鉄護臁一付・頭盔一頂・金箔彩画屛風一対・両面泥金扇二百把・泥金水墨画扇二百把・貼片金水墨画扇一百五十把・貼金穿馬鉄甲二付・貼金馬鉄面二個・象牙二百六十斤・蘇木二千斤・番錫五百斤を装載し、京に赴き進貢し謝恩し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
王舅一員 源徳 人伴一十名
長史一員 蔡朝器 人伴一十名
使者一員 馬嘉寧 人伴五名
都通事一員 沈文 人伴三名
存留在船使者二員 兪良金 呉蒙達 人伴四名
存留在船通事一員 鄭祐 人伴二名
国王附搭の蘇木二千斤
嘉靖四十年(一五六一)九月十三日
右の符文は長史蔡朝器・都通事沈文等に付し、此れに准ぜしむ
進貢謝恩等の/事の為にす 符文
注*この進貢については『明実録』嘉靖四十一年六月癸丑の条に記事がある。なお郭汝霖『使琉球録』巻末の題奏によれば、この進貢は冊封に謝するもので、冊封使と同時に那覇を出立した。
(1)三名 対応する執照〔三〇-二六〕には四名とある。
(2)四名 〔三〇-二六〕には二名とある。