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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-24-08 国王尚真の、慶賀進貢のため正議大夫梁徳等を遣わす符文(一四九三、八、二〇)
琉球国中山王尚真、慶賀、進貢等の事の為にす。
今、特に正議大夫梁徳を遣わし、長史梁能・使者鄔菩世等と同に、表箋文各一通を齎捧せしむ。安字号海船一隻に坐駕し、馬一十五匹・硫黄二万斤并びに鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀一十六把・鍍金銅結束紅漆鞘沙魚皮靶腰刀一十把・鍍金銅結束螺鈿鞘沙魚皮靶腰刀六把を装載し、京に赴き御前に進賀し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 梁徳
使者三員 韓俊 馬佳魯 達魯
都通事一員 程璉
人伴二十二名
国王附搭の蘇木三千斤・胡椒一千斤・番錫一千二百斤
弘治六年(一四九三)八月二十日
右の符文は正議大夫梁徳及び都通事程璉に付し、此れに准ぜしむ
慶賀等の/事の為にす 符文
注*この入貢については『明実録』弘治七年四月壬戌の条に記事がある。
(1)馬佳魯 達魯 原文では馬佳魚 達魚とあるが、同時発行の執照〔二八-二九〕では馬佳魯・達魯とあり、魚は魯の誤りであろう。
琉球国中山王尚真、慶賀、進貢等の事の為にす。
今、特に正議大夫梁徳を遣わし、長史梁能・使者鄔菩世等と同に、表箋文各一通を齎捧せしむ。安字号海船一隻に坐駕し、馬一十五匹・硫黄二万斤并びに鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀一十六把・鍍金銅結束紅漆鞘沙魚皮靶腰刀一十把・鍍金銅結束螺鈿鞘沙魚皮靶腰刀六把を装載し、京に赴き御前に進賀し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 梁徳
使者三員 韓俊 馬佳魯 達魯
都通事一員 程璉
人伴二十二名
国王附搭の蘇木三千斤・胡椒一千斤・番錫一千二百斤
弘治六年(一四九三)八月二十日
右の符文は正議大夫梁徳及び都通事程璉に付し、此れに准ぜしむ
慶賀等の/事の為にす 符文
注*この入貢については『明実録』弘治七年四月壬戌の条に記事がある。
(1)馬佳魯 達魯 原文では馬佳魚 達魚とあるが、同時発行の執照〔二八-二九〕では馬佳魯・達魯とあり、魚は魯の誤りであろう。