琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-16-14 国王尚巴志より礼部あて、生漆・磨刀石を買い付けた船の難破を知らせる咨(一四三一、四、一〇)
琉球国中山王尚巴志、開読の事の為にす。
先ごろ宣徳二年(一四二七)六月初二日、欽差の内官柴山、勅諭を齎捧するを蒙るに、皮弁冠服を頒賜し、并びに銅銭二百万文を齎して生漆及び各色磨刀石を収買せしむ。此れを欽む。欽遵するを除き、内、銅銭二十八万二千七百文を将て生漆及び各色磨刀石を買得す。已に宣徳三年二月内に、先ず欽差の内官柴山の来船に附し、装載して京に赴き進収せしむ。其の余の銅銭は、続いて後、再た買い至るの日に另に進用を行うは已経に備由し、具本して奏聞し、礼部に移咨するに及ぶの外、続いて宣徳五年八月初七日、欽差の内官柴山、内使阮漸、勅諭を齎捧するを蒙る。開読するに、前項の遺下の銅銭一百七十一万七千三百文にて屛風・生漆・各様磨刀石等の件を収買せよ、とあり。此れを欽む。欽遵するを除き、切に見に本国は別に所産無きも、曷ぞ敢えて違うる有らんや。随いで的当の頭目阿普察都を差わし人船を管領せしめ、尽く前項の遺下の銅銭を将て装載し、隣国の産有の地方に到る。俱に已に屛風・生漆及び各様磨刀石等の件を買得し、海船に完備し装載して回還し、本国の海上の小山の地名、由魯奴なる地方に至りて、宣徳五年十二月二十二日、船隻は風に遭いて打破し、及び差去せる頭目人等七十余名渰死す。其の余の人数三十余名は水に浮かびて登岸す。并びに前項の遺下の銅銭一百七十一万七千三百文にて、尽く屛風・生漆及び各様磨刀石等の件を買うも、俱に各々漂散し沈没して存する無し。此の一節は朝廷の官物に係干る為に、具奏するを除くの外、咨して施行を請う。須らく咨に至るべき者なり。
右、礼部に咨す
宣徳六年(一四三一)四月初十日
咨

注*〔一二-〇八〕にほぼ同内容の奏がある。注は同項を参照。
(1)阿普察都 〔一六-〇二〕注(4)参照。
(2)具奏 〔一二-〇八〕。
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