琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-12-19 国王尚徳の、附搭の物貨に対し銅銭の給与を請い、進貢する奏(一四六五、八、一五)
琉球国中山王臣尚徳、謹んで奏す。乞恩の事の為にす。
切に照らすに、本国は太祖高皇帝の開基より以来、屢々職貢を修むるに、皆聖恩を蒙り、附搭の物貨を将て照数して估価し、永楽通宝并びに歴代の銅銭を給与せらるれば、回国して流通使用し、方物を収買するに甚だ便なり。前に王府失火するに因り、銅銭・貨物は俱に焼毀を被り、行使に堪えずして国用匱乏す。近年以来、附搭の物貨は只だ絹匹等の貨のみを給せられて回り至れば、本国、銭の下年の方物を収買するを欠く。本国は只だ硫黄・馬匹を産するのみにして、其の余の物貨は諸番に出ずるに縁り、方物を収買す。惟だ是れ銅銭流通すれば、便益なり。節次に具本して奏乞するも未だ恩賜を蒙らず。此の為に、特に正議大夫程鵬・長史梁賓等の官を遣わし、勝字等号海船二隻を駕し、表文一通を齎捧し、及び硫黄四万斤・馬三十匹・象牙一百六十斤・檀香二百斤・束香二百五十斤・胡椒三百五十斤を装載し、京に赴き進貢せしむ。今、臣恭しく惟うに、皇上の宝位に嗣登するや、仁恩は広大にして万邦に普及し、臣の小国を待するに赤子を撫するが若し。如し准奏を蒙らば、乞う、該部に勅し、永楽及び宣徳三年(一四二八)の事例を査照して、附搭の物貨を将て銅銭を給与し、回国して流通せしめんことを。国用乏しからずして、職貢常有るを得るに庶からん。臣感激の至りに勝えず。礼部に咨して知会するを除くの外、謹んで具して奏聞す。
為の字より起こし外の字に至りて止む。計字三百字、紙一張
右、謹んで奏聞す
成化元年(一四六五)八月十五日 琉球国中山王臣尚徳、謹んで上奏す

注(1)估価 評価。
(2)王府失火 『世譜』「尚泰久王、附記」に「景泰四年癸酉(一四五三)会尚金福王薨、世子志魯将立、時王弟布里威勢甚盛、…布里大怒、発兵攻撃、志魯亦擁兵拒戦、両軍混殺、満城火起、府庫焚焼、布里・志魯両傷俱絶…」とある火災であろう。このことは『明実録』景泰五年二月己亥の条にも記述がある。
(3)近年以来…恩賜を蒙らず 『明実録』天順三年(一四五九)三月甲申の条に、尚泰久が銅銭の給賜を請うたのを却け、絹匹等を給賜した記事がある。
(4)節次 折々。
(5)程鵬 『明実録』成化二年閏三月乙亥の条に、この入貢についての記事がある。
(6)束香 速香に同じか。
(7)永楽及び宣徳三年の事例 〔一六-〇七〕参照。
(8)礼部に咨 〔一七-一六〕。
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