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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-09-04 招撫使謝必振より琉球国長史司あて、明の勅・印の返納を促す咨(一六五二、七、一五)
欽差の齎勅せる招撫使謝(必振)、欽んで勅諭を頒つ事の為にす。
照得するに、本使、前に皇上の差委を奉じ、原の日に閩に在りし官伴を収攬し、摘発し回国せしめて以て柔遠を示し、併せて入賀するを招きて以て帰順を広む。時に貴国は方物の備え難きを以て、只だ周国盛を差官し空表を齎し投誠せるのみなるも、六年(一六四九)十一月閩に到れば、部・撫・司・道、欣羨せざる莫く、宴を賜い糧を増す。七年二月内に至り京に赴き、皇上の大いに嘉するを蒙り、賞賚は陋規を革去して惟十倍を恩む。内院・礼部二衙門に送りて再三詢諭すらく、館留し京に在りて、賀の至るを守候して一併に遣発す、と。且つ来表の内に又、献琛は稍来祀に寛むるを云い、兼ねて故閩の印・勅は未だ繳さざるを以てすれば、其の中に游移携弐する無きにしもあらず。幸いに我が皇上、誠信もて人を待すれば、以て億逆相料するに忍びず。詎ぞ貴国の果たして懐疑して未だ決せざるを知らんや。賀音聞こゆる無く、本使は周差使と与に京邸に逗留し、郷を離れ井に背くこと二十閲月有奇なるを致す。前番、往返して濤を渉り驚魂未だ定まらざるも、馳駆し復命して瘁骨し堪傷す。京に留まりて賀船を翹眄し、春よりして復た秋に至るに及び、望眼は穿てるに幾く焦心して血を成す。我、皇仁の浩蕩なるを荷くし、周差使の忠誠を頼み、同心に協力し幹旋して回還す。是れ貴国は尚お信を天朝に失うも、天朝は未だ貴国を恩に辜かしめざるなり。復た勅書一道を頒ち本使を差わし再来して頒佈せしむ。当即に涕泣して懇辞するも、内院は諭するに、聖旨已に定まれば容れて更易する無きを以てす。周差使の目撃せる所は、兵・礼二部の畳ねて三官を差わし護送して福省に到りて交割するを蒙り、懐柔の盛典は至れり尽くせり、此れ古今未だ聞かざる所なり。
八年(一六五四)十一月に至りて閩に到る。撫院は諭するに、王命森厳なれば促即やかに啓行するを以てす。本使、又辞するに、勅書は重大なれども風汛は時に非ず、稍しく来年を待たん、と。実は今春、賀船の自ら至るを候ちて、一は以て往返の航海の艱を免れ、二は以て貴国の供応の費を省かんと欲す。想わざるも、今春の来船は只だ探聴を以て名と為すのみ。故閩の印・勅は又申説する無し。遂に院・司の猜疑を起こし、人船を拘繫し題して定奪するを候たんと欲せしむ。本使、百計もて図維し従権もて酌処し、姑く大夫蔡時春を以て存留と為して以て口実を塞ぎ、以て疑隙を消す。瓦全して事を終えしも亦た貴国の福なり。諒に貴国、未だ此の中の衷曲を知らず。奈んともする無く、車糧を整辦し、周差使と同に束装して登舟す。
六月二十九日、梅花より開駕し、七月初四日、直ちに古米に抵る。聖天子の威霊を荷くするに非ざれば、安くんぞ此くの如く迅速なるを得んや。目今、太平は象有り。定まるを底し永く清まりて百物は咸く煕ぐ。探船の差使は貿易するに悉く自便を行えば、事情を評価し時に乗じて亟やかに挙て。仍前の若く泄泄たれば是れ相い耽悞せん。矧んや此の番、部の限は緊急なるをや。冬汛は将に至らんとす。復命の期は決ず十月に在らん。所有の入賀の事宜は、故閩の印・勅もて作速に呈繳すると併せて料理せよ。更に、各員役の随帯せる湖糸・氈条・綢・布等の貨は、価値は万に盈たざると雖も、亦た当に早やかに之に預かるを為すべし。丙戌より今に迄るまで屈指すれば七載なり。梯山し航海し家破れ人離る。本使、王命を奉じて差遣せらると雖も、実に貴国の為に奔馳す。一片の苦心、貴国の鑑諒するや否やを知らず。本船は刻、覇港に進みて安挿せんと欲するも、奈んせん、差使周国盛・鄭孟徳、諄諄として懇留すれば、姑暫く少しく待たん。但だ天威咫尺なり。稽延すれば隕越して罪を獲ん。是れ懼れて已まず。先ず貴司に咨会するを行う。煩わくは即ち三法司に転達し、貴国の主に啓奏し、来咨内の事理を悉照し遵奉して施行せんことを。倘し再た疑いを生じ怠るを懐えば、是れ自ら甘んじて己を棄つるなり。本使に何の尤あらんや。此の為に理として合に移咨すべし。須らく咨に至るべき者なり。
右、琉球国長史司に咨す
順治九年(一六五二)七月十五日 行す
咨
注(1)官伴 官員と人伴。なおここに言及されているのは、順治三年、福建で清軍に投じた金思徳らである。〔〇九-〇一〕参照。
(2)空表 空は内実がない。ここでは表文のみで他に何も添えられていないことをさす。なお、この表は〔一四-〇一〕。
(3)部・撫・司・道 ここでは総督・巡撫・布政司・巡海道などをさす。なお、部は部院の略。〔〇九-〇一〕注(22)参照。
(4)欣羨 うらやましい。ここでは非常によろこぶこと。
(5)陋規 古い規則。
(6)革去 改革する。あらためる。
(7)館留 宿舎に滞在すること。
(8)賀 慶賀の使節。
(9)故閩 明をさす。閩は福建の別称。明の残党が福建に拠って抵抗していたので、そこから出た呼称か。
(10)游移携弐 游移は疑う、ためらう。携弐はそむく。
(11)億逆相料 億逆は邪推する。相料はおしはかる。
(12)京邸 会同館か。
(13)井に背く 故郷をあとにする。
(14)前番、往返 前番は前回。謝必振はすでに順治六年に一度渡琉している。〔〇九-〇一〕参照。
(15)望眼…成す 待ちあぐねるさま。
(16)幹旋 つかさどり執り行うこと。
(17)勅書〔〇三-〇四〕。
(18)頒佈 頒布に同じ。
(19)三官 〔〇九-〇三〕によれば、鴻臚寺琉球館通事序班呉国鼎と跟役二名。
(20)今春の来船 該当の派遣の記録は残っていない。
(21)申説 詳しく理由を説明する。
(22)院・司 巡撫と布政司か。
(23)図維 はかる。
(24)従権 臨機の処置。
(25)蔡時春 生没年不詳。安室親雲上(『市史宝案妙』四八七頁)。
(26)瓦全 体面をかまわず、ひたすら生き延びることを図る。
(27)衷曲 真情。
(28)整辦 ととのえる。
(29)束装 身支度する。
(30)古米 久米島。
(31)探船 探聴の船。本来の目的は行方不明船の調査であるが、ついでに貿易も行った。また単に探聴の名目で派遣されることもあったと思われる。ここでは注(20)の船をさすか。
(32)自便 自分の便利なようにすること。
(33)仍前 もとどおり。
(34)泄泄 ゆるやかなさま。人の多いさま。怠るさま。多言のさま。
(35)耽悞 遅れる。滞在する。誤る。
(36)氈条 毛氈。
(37)丙戌 順治三年。
(38)覇港 那覇港。
(39)安挿 おちつかせる。適当な所に按配して置く。
(40)天威咫尺 咫尺はきわめて近い距離。天子の威厳は顔前の咫尺にあること。転じて、拝謁する。ここでは天威は恐れ多いの意か。
(41)隕越 ころがりおちる。
(42)三法司 本書序の注(5)参照。
(43)主 この時まだ尚質は中国から冊封を受けておらず、世子と称していたため、主と呼んだのであろう。
(44)悉照 しらべつくす。
欽差の齎勅せる招撫使謝(必振)、欽んで勅諭を頒つ事の為にす。
照得するに、本使、前に皇上の差委を奉じ、原の日に閩に在りし官伴を収攬し、摘発し回国せしめて以て柔遠を示し、併せて入賀するを招きて以て帰順を広む。時に貴国は方物の備え難きを以て、只だ周国盛を差官し空表を齎し投誠せるのみなるも、六年(一六四九)十一月閩に到れば、部・撫・司・道、欣羨せざる莫く、宴を賜い糧を増す。七年二月内に至り京に赴き、皇上の大いに嘉するを蒙り、賞賚は陋規を革去して惟十倍を恩む。内院・礼部二衙門に送りて再三詢諭すらく、館留し京に在りて、賀の至るを守候して一併に遣発す、と。且つ来表の内に又、献琛は稍来祀に寛むるを云い、兼ねて故閩の印・勅は未だ繳さざるを以てすれば、其の中に游移携弐する無きにしもあらず。幸いに我が皇上、誠信もて人を待すれば、以て億逆相料するに忍びず。詎ぞ貴国の果たして懐疑して未だ決せざるを知らんや。賀音聞こゆる無く、本使は周差使と与に京邸に逗留し、郷を離れ井に背くこと二十閲月有奇なるを致す。前番、往返して濤を渉り驚魂未だ定まらざるも、馳駆し復命して瘁骨し堪傷す。京に留まりて賀船を翹眄し、春よりして復た秋に至るに及び、望眼は穿てるに幾く焦心して血を成す。我、皇仁の浩蕩なるを荷くし、周差使の忠誠を頼み、同心に協力し幹旋して回還す。是れ貴国は尚お信を天朝に失うも、天朝は未だ貴国を恩に辜かしめざるなり。復た勅書一道を頒ち本使を差わし再来して頒佈せしむ。当即に涕泣して懇辞するも、内院は諭するに、聖旨已に定まれば容れて更易する無きを以てす。周差使の目撃せる所は、兵・礼二部の畳ねて三官を差わし護送して福省に到りて交割するを蒙り、懐柔の盛典は至れり尽くせり、此れ古今未だ聞かざる所なり。
八年(一六五四)十一月に至りて閩に到る。撫院は諭するに、王命森厳なれば促即やかに啓行するを以てす。本使、又辞するに、勅書は重大なれども風汛は時に非ず、稍しく来年を待たん、と。実は今春、賀船の自ら至るを候ちて、一は以て往返の航海の艱を免れ、二は以て貴国の供応の費を省かんと欲す。想わざるも、今春の来船は只だ探聴を以て名と為すのみ。故閩の印・勅は又申説する無し。遂に院・司の猜疑を起こし、人船を拘繫し題して定奪するを候たんと欲せしむ。本使、百計もて図維し従権もて酌処し、姑く大夫蔡時春を以て存留と為して以て口実を塞ぎ、以て疑隙を消す。瓦全して事を終えしも亦た貴国の福なり。諒に貴国、未だ此の中の衷曲を知らず。奈んともする無く、車糧を整辦し、周差使と同に束装して登舟す。
六月二十九日、梅花より開駕し、七月初四日、直ちに古米に抵る。聖天子の威霊を荷くするに非ざれば、安くんぞ此くの如く迅速なるを得んや。目今、太平は象有り。定まるを底し永く清まりて百物は咸く煕ぐ。探船の差使は貿易するに悉く自便を行えば、事情を評価し時に乗じて亟やかに挙て。仍前の若く泄泄たれば是れ相い耽悞せん。矧んや此の番、部の限は緊急なるをや。冬汛は将に至らんとす。復命の期は決ず十月に在らん。所有の入賀の事宜は、故閩の印・勅もて作速に呈繳すると併せて料理せよ。更に、各員役の随帯せる湖糸・氈条・綢・布等の貨は、価値は万に盈たざると雖も、亦た当に早やかに之に預かるを為すべし。丙戌より今に迄るまで屈指すれば七載なり。梯山し航海し家破れ人離る。本使、王命を奉じて差遣せらると雖も、実に貴国の為に奔馳す。一片の苦心、貴国の鑑諒するや否やを知らず。本船は刻、覇港に進みて安挿せんと欲するも、奈んせん、差使周国盛・鄭孟徳、諄諄として懇留すれば、姑暫く少しく待たん。但だ天威咫尺なり。稽延すれば隕越して罪を獲ん。是れ懼れて已まず。先ず貴司に咨会するを行う。煩わくは即ち三法司に転達し、貴国の主に啓奏し、来咨内の事理を悉照し遵奉して施行せんことを。倘し再た疑いを生じ怠るを懐えば、是れ自ら甘んじて己を棄つるなり。本使に何の尤あらんや。此の為に理として合に移咨すべし。須らく咨に至るべき者なり。
右、琉球国長史司に咨す
順治九年(一六五二)七月十五日 行す
咨
注(1)官伴 官員と人伴。なおここに言及されているのは、順治三年、福建で清軍に投じた金思徳らである。〔〇九-〇一〕参照。
(2)空表 空は内実がない。ここでは表文のみで他に何も添えられていないことをさす。なお、この表は〔一四-〇一〕。
(3)部・撫・司・道 ここでは総督・巡撫・布政司・巡海道などをさす。なお、部は部院の略。〔〇九-〇一〕注(22)参照。
(4)欣羨 うらやましい。ここでは非常によろこぶこと。
(5)陋規 古い規則。
(6)革去 改革する。あらためる。
(7)館留 宿舎に滞在すること。
(8)賀 慶賀の使節。
(9)故閩 明をさす。閩は福建の別称。明の残党が福建に拠って抵抗していたので、そこから出た呼称か。
(10)游移携弐 游移は疑う、ためらう。携弐はそむく。
(11)億逆相料 億逆は邪推する。相料はおしはかる。
(12)京邸 会同館か。
(13)井に背く 故郷をあとにする。
(14)前番、往返 前番は前回。謝必振はすでに順治六年に一度渡琉している。〔〇九-〇一〕参照。
(15)望眼…成す 待ちあぐねるさま。
(16)幹旋 つかさどり執り行うこと。
(17)勅書〔〇三-〇四〕。
(18)頒佈 頒布に同じ。
(19)三官 〔〇九-〇三〕によれば、鴻臚寺琉球館通事序班呉国鼎と跟役二名。
(20)今春の来船 該当の派遣の記録は残っていない。
(21)申説 詳しく理由を説明する。
(22)院・司 巡撫と布政司か。
(23)図維 はかる。
(24)従権 臨機の処置。
(25)蔡時春 生没年不詳。安室親雲上(『市史宝案妙』四八七頁)。
(26)瓦全 体面をかまわず、ひたすら生き延びることを図る。
(27)衷曲 真情。
(28)整辦 ととのえる。
(29)束装 身支度する。
(30)古米 久米島。
(31)探船 探聴の船。本来の目的は行方不明船の調査であるが、ついでに貿易も行った。また単に探聴の名目で派遣されることもあったと思われる。ここでは注(20)の船をさすか。
(32)自便 自分の便利なようにすること。
(33)仍前 もとどおり。
(34)泄泄 ゆるやかなさま。人の多いさま。怠るさま。多言のさま。
(35)耽悞 遅れる。滞在する。誤る。
(36)氈条 毛氈。
(37)丙戌 順治三年。
(38)覇港 那覇港。
(39)安挿 おちつかせる。適当な所に按配して置く。
(40)天威咫尺 咫尺はきわめて近い距離。天子の威厳は顔前の咫尺にあること。転じて、拝謁する。ここでは天威は恐れ多いの意か。
(41)隕越 ころがりおちる。
(42)三法司 本書序の注(5)参照。
(43)主 この時まだ尚質は中国から冊封を受けておらず、世子と称していたため、主と呼んだのであろう。
(44)悉照 しらべつくす。