琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-06-19 礼部より国王尚貞あて、進貢船二隻の人数を二百人以内とし、接貢船一隻も免税とすることを特に許すむねの咨(一六八九、一〇、一三) 礼部、蠲免の兪旨を仰体し、再た効順の愚誠を陳べ、聖明もて慈を垂れて以て遠人を柔らげ、以て浩蕩を彰らかにするを冒懇する事の為にす。 礼科の抄出なり。琉球国中山王尚貞、題するに、前事、等の因あり。康煕二十七年(一六八八)九月十五日題し、二十八年九月十六日旨を奉ずるに、該部議奏せよ、とあり。此れを欽む。欽遵して本月十七日に部に到る。 該臣等、会して議得するに、琉球国中山王尚貞、疏称すらく、切に臣、康煕二十四年五月内に部文を奉ずるに、外国の進貢の定数は船三隻、船中の所有の帯来の貨物は其の収税を停む、とあり。今、荷蘭国は皇上の額外の恩を邀くるを得。臣の後次の接貢の船は、例に照らして恩免するを乞う、等の語あり。査するに、康煕二十五年七月内、臣の部、題するに、荷蘭国の接貢の船隻は、私来して貿易するの船に係わるに非ざれば、亦た応に其の収税を免ずべし。迎接の船二隻を除くの外、例に仍照して収税せん、等の因あり。具題して旨を奉ずるに、議に依れ、とあり。欽遵せるは案に在り。今、琉球国の進貢の船二隻は已経に税を免ずるも、後の接貢の船一隻も亦た応に例に照らしてその収税を免じ、湊めて三隻の数に足らしむべし。此の接貢の船一隻を除くの外、私来して貿易する者有らば、例に仍照して収税せん。 又、疏称すらく、敝国の入貢の船は、向例として両船にして、員役は二百人の数に盈たず。今、部文を准くるに、定例として外国の進貢の船は三を過ぎず、人は百を過ぎず。惟だ琉球国の進貢の人数は多くとも百五十人を過ぎず、とあり。臣思うに、琉球より閩に至るは万里の汪洋にして、両船の内、官伴・員役を除くの外、操舟を善くする者、毎船五十人に非ざれば、遠く洪濤を渉る能わず。前例に依りて遵行するを准すを乞う、等の語あり。定例を査するに、琉球国の進貢は百五十人を過ぎず、遵行すること年久し。且つ別国に較ぶるに多しと為す。今、琉球国王、百五十人の外に人数を加添するを請うの処は、応に議を庸うる無かるべし。命下るの日を俟ち、該督撫に移文し、併びに琉球国王に知会するが可ならん、等の因あり。 康煕二十八年十月初三日題し、本月初七日旨を奉ずるに、琉球国の誠心もて進貢すること年久し。該王具疏して人数を増添するを懇請すれば、着するに再議して具奏せよ、とあり。此れを欽む。欽遵して本月初八日に、部に到る。 該臣等会同して再た議得するに、先に経に臣の部等の衙門、琉球国王尚貞の疏に題覆して称すらく、琉球国の進貢の二船は已経に税を免ず。後の接貢の船一隻も亦た応に例に照らして其の収税を免じ、湊めて三隻の数に足らしむべし。定例として琉球国の進貢は百五十人を過ぎず、遵行すること年久し。且つ別国に較ぶるに多しと為す。今、琉球国王、百五十人の外に人数を加添するを請うの処は、応に議を庸うる無かるべし、等の因あり。具題して旨を奉ずるに、琉球国の誠心もて進貢すること年久し。該王具疏して人数を増添するを懇請すれば、着するに再議して具奏せよ、とあり。此れを欽む。査するに、琉球国は職貢すること年久しく、素より誠謹を称す。嗣後、進貢の両船の人数は、其の増添を准すも、共に二百を過ぎず。後の接貢の一船も亦た応に其の収税を免じ、湊めて三隻の数に足らしめて以て皇上の遠人を柔恤するの意を示すべし。命下るの日を俟ち、該督撫に移文し、并びに琉球国王に知会するが可ならん、等の因あり。康煕二十八年十月初十日題し、本日旨を奉ずるに、議に依れ、とあり。此れを欽む。欽遵して抄出し、部に到れば、司に送る。此れを奉じ、相応に移咨すべし。此の為に合に咨して前去すべし。煩為わくは旨内の事理を査照して、欽遵して施行せんことを。須らく咨に至るべき者なり。 右、琉球国王に咨す 康煕二十八年(一六八九)十月十三日 再対して之を正す 咨 注*『清実録』康煕二十八年十月庚午の条に関連の記事がある。 (1)蠲免 租税などをはぶき除く。 (2)尚貞、題す 〔一五-一〇〕。 (3)尚貞、疏 注(2)の〔一五-一〇〕。 (4)等の因あり 注(5)の題の終り。 (5)康煕二十八年十月初三日題し この題は文書冒頭の「琉球国中山王尚貞、題するに」から注(4)まで。 (6)等の因あり 注(7)の題の終り。 (7)康煕二十八年十月初十日題し この題は、文書冒頭の「琉球国中山王尚貞、題するに」から注(6)まで。
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