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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
(三六)嘉靖三十七年(一五五八)正月乙亥(二十六日) 是れより先、三十五年、倭冦浙直より敗れ還りて海に入り、琉球国の境上に至る。中山王世子尚元、兵を遣わし邀撃し、尽く之を殲し、中国の被虜の人金坤等六名を得。是に至り、陪臣蔡廷会等を遣わして入貢し、坤等を献還す。因りて言わく、 「遠夷窮島の入貢の使は、須らく夏令に乗じ、南の風迅に遇い始めて帰国するを得べし。乞うらくは、三十四年の例の如く、福建海口に于て毎歳自ら帰舟を修買するを行い、題請を候たざるを聴さんことを」。上、其の忠順を嘉し、之を許す。仍お勅を賜い奨諭し、銀五十両・綵幣四襲を賞す。獲功の人、馬必度及び廷会等、倶に厚く賜し之を遣かしむ。