琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-192-08 琉球国中山王世子尚泰より礼部あて、咸豊二年の進貢使毛種美等及び請諭王舅馬克承等を派遣する旨の咨文(咸豊二《一八五二》、八、三)
琉球国中山王世子尚(泰)、進貢する事の為にす。
照らし得たるに、敝国は遠く瀛壖に居るも、叨くも天朝の隆恩に沐し、会典に遵依して二年一貢し、欽遵して案に在り。
茲に咸豊二年の貢期に当たれば、特に耳目官の毛種美・正議大夫の蔡士俊・都通事の鄭思恭等を遣わし、梢役共に一百九十九員名を率領せしめ、海船二隻に坐駕し、煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を分運して、前みて福建布政使司に至りて投納し、例に照らして閩に留まりて駅を守るの員伴と遣発して回国せしむるの員役とを分別し、其の貢使の毛種美等をして表章・方物を齎捧し、前みて京師に赴き叩きて聖禧を祝らしめんとす。
又、特に王舅の馬克承・正議大夫の梁必達・都通事の阮宣詔等を遣わし、另に咨文を捧げて跟伴共に三十三員名を率領せしめ、二号貢船に搭駕し、前みて福建に詣りて布政使司に陳請せしめんとす。督/撫両院に転詳し、奏もて聖諭を請わしむるの外、理として合に移知すべし。此れが為に備に貴部に咨す。請煩わくは察照して施行せられよ。
須らく咨に至るべき者なり。
右、礼部に咨す
咸豊二年(一八五二)八月初三日

注(1)瀛壖 海岸。海浜。陸地のはて。琉球を指す。
(2)鄭思恭 久米村系鄭氏。『宝案』では道光十八年(一八三八)の王舅通事(巻一六七)、三十八年の在船都通事(巻一八七)、咸豊二年(一八五二)の朝京都通事として名がみえる。
(3)馬克承 嘉慶二十四年(一八一九)~?。小禄親方良泰(後に良忠)。首里系馬氏。道光八年に楽童子として江戸に上り、十七年の冊封使歓待の宴では躍員を務める。二十七年に家督を継いで小禄間切総地頭となる。二十八年に那覇里主、三十年に泊地頭職を務める。咸豊二年、ベッテルハイム退去の要請・八重山漂着の中国人護送のため請諭正使の王舅として福建に赴く。このときロバート・バウン号事件の情報を中国に伝えた。七年に三司官となるが九年に辞職(『家譜(三)』五三四頁)。
(4)梁必達 浜川親雲上。咸豊二年にベッテルハイム退去の要請・八重山漂着の中国人護送のため請諭副使の正議大夫として中国に渡った(『家譜(三)』五三七頁、馬克承の譜)。『宝案』では道光六年の存留通事(巻一四二)、同十六・二十二年の朝京都通事(巻一六三・一七五)、二十六年の進貢の正議大夫(巻一八二)としても名がみえる。
(5)阮宣詔 嘉慶十六~光緒十一年(一八一一~八五)。久米村系阮氏(𤘩宮城家)九世。神村親方。最後の久米村総役。道光二十年に官生として国子監に入学、二十七年に帰国、翌二十八年に著作総師職(漢文組立役主取)となる。二十九年に存留通事として進貢使節に加わり、咸豊元年(一八五一)に帰国。その後も咸豊二年に朝京都通事、六年に正議大夫、九年に紫金大夫として中国に渡る。その間、三度久米村長史を務め、十一年には総理唐栄司となった。十年に具志川間切天願地頭職に任ぜられ、後に南風原間切神里村に転じた。(『家譜(二)』一七一頁、『久米村―歴史と人物』一九九三)。
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関連資料

  • 歴代宝案校訂本 2-192-08 琉球国中山王世子尚泰より礼部あて、咸豊二年の進貢使毛種美等及び請諭王舅馬克承等を派遣する旨の咨文(咸豊二《一八五二》、八、三)

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