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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-74-08 礼部より琉球国中山王尚穆あて、乾隆五十一年の進貢翁秉儀等への格外の宴賞、加賞並びに賞賜について通知する旨の咨文(乾隆五十三《一七八八》、二、□)
礼部、知照の事の為にす。
主客司案呈す。査するに、琉球国の進貢使臣京に来たれば、例に照らして宴賞するを除くの外、所有の格外に宴賞するの処は、相い応に開列し、琉球国国王に移咨すれば可なるべし。
須らく咨に至るべき者なり。
計開す
乾隆五十二年十二月二十一日、皇上、瀛台に詣る。琉球国の使臣、西華門外に在りて天顔を瞻仰し、賞飯され并びに克食を賜う。
三十日、使臣、保和殿に在りて入宴し、桌張を賞賜せらる。
乾隆五十三年正月初一日、使臣、太和殿に在りて元旦行礼す。
初九日、使臣、紫光閣に在りて入宴す。正使に、錦緞三疋・漳絨三疋・小巻八糸緞五疋・小巻五糸緞五疋・花大荷包一対・小荷包八個を加賞す。副使に、錦緞一疋・漳絨一疋・小巻八糸緞三疋・小巻五糸緞三疋・花大荷包一対・小荷包四個を賞す。
初十日、皇上、円明園に幸す。使臣、西華門外に赴きて聖駕を迎送す。
十二日、使臣、円明園に赴き、山高水長の大蒙古包にて入宴し、桌張を賞賜せらる。
十三日、山高水長にて花灯・烟火を賞看し、克食・菓盒・元宵を賜る。
十四日、山高水長にて花灯・烟火を賞看し、克食・菓盒・元宵を賜る。
十五日早晨、正大光明殿にて入宴し、下午、山高水長に在りて花灯・烟火を賞看し、克食を賜る。同日、命を承け、七言律詩二首を恭進す。
十六日黎明、進呈す。正使に大緞一疋・筆五枝・墨五錠・箋紙一巻を賞し、副使に大緞一疋・筆十枝・墨十錠・箋紙二巻を賞す。
十九日、山高水長にて花灯・烟火を賞看し、克食を賜る。仍お随いで慶豊図に入り、灯戯を賞看し、克食を賜る。
右、琉球国王に咨す
乾隆五十三年(一七八八)二月 日
注*本文書の咨覆は〔七七―〇五〕である。
(1)瀛台 北京の西苑の太液池のなかにある宮室。夏の間、皇帝がここで政務を執ることもあった。
(2)西華門 紫禁城の西門。紫禁城は正門にあたる午門、北の神武門、東の東華門、西の西華門があった。
(3)桌張 卓張とも。テーブル料理。
(4)太和殿 紫禁城内の宮殿の一つ。宮城内で最大の建築物。現在の建物は康煕三十四年(一六九五)重建。即位の式典や朝賀の礼(元旦)、万寿節(皇帝の誕生日)など国家の重要行事の多くが行われた。
(5)花大荷包 花模様のついた大型の袋物。
(6)大蒙古包 「包」は蒙古人の移動式の居住テント。円明園のなかの山高水長で、蒙古式のテントを設置して宴をもよおしたことは、乾隆五十一年の正議大夫阮廷宝の家譜にも出てくる(『家譜(二)』一八四頁)。
(7)花灯 元宵節に飾られる提灯。
(8)賞看 (皇帝の)命を受けて鑑賞する。
(9)元宵 餡入りだんご。旧暦正月十五日の元宵節の日に食す。
(10)七言律詩 このときの副使阮廷宝の家譜には「上元賜宴賞灯奉 旨恭紀 聖恩二首」と題して次の詩がある。「弾丸海島細微臣元夜随班沐 帝仁玉殿伝柑頒 御宴金門掛綵賞 王春繞林烟火輝天上満砌歌声奏 紫宸瞻仰 龍顔惟咫尺渾身徧洽 聖恩新」「上元御苑賜華筵 玉輅龍旂出日辺扈 駕王公盈殿下献芹遠价侍階前灯聯火樹銀花燦歌舞覧裳彩色鮮中外臣僚承 寵異昇平共祝万斯季」(『家譜(二)』一八四頁)。
礼部、知照の事の為にす。
主客司案呈す。査するに、琉球国の進貢使臣京に来たれば、例に照らして宴賞するを除くの外、所有の格外に宴賞するの処は、相い応に開列し、琉球国国王に移咨すれば可なるべし。
須らく咨に至るべき者なり。
計開す
乾隆五十二年十二月二十一日、皇上、瀛台に詣る。琉球国の使臣、西華門外に在りて天顔を瞻仰し、賞飯され并びに克食を賜う。
三十日、使臣、保和殿に在りて入宴し、桌張を賞賜せらる。
乾隆五十三年正月初一日、使臣、太和殿に在りて元旦行礼す。
初九日、使臣、紫光閣に在りて入宴す。正使に、錦緞三疋・漳絨三疋・小巻八糸緞五疋・小巻五糸緞五疋・花大荷包一対・小荷包八個を加賞す。副使に、錦緞一疋・漳絨一疋・小巻八糸緞三疋・小巻五糸緞三疋・花大荷包一対・小荷包四個を賞す。
初十日、皇上、円明園に幸す。使臣、西華門外に赴きて聖駕を迎送す。
十二日、使臣、円明園に赴き、山高水長の大蒙古包にて入宴し、桌張を賞賜せらる。
十三日、山高水長にて花灯・烟火を賞看し、克食・菓盒・元宵を賜る。
十四日、山高水長にて花灯・烟火を賞看し、克食・菓盒・元宵を賜る。
十五日早晨、正大光明殿にて入宴し、下午、山高水長に在りて花灯・烟火を賞看し、克食を賜る。同日、命を承け、七言律詩二首を恭進す。
十六日黎明、進呈す。正使に大緞一疋・筆五枝・墨五錠・箋紙一巻を賞し、副使に大緞一疋・筆十枝・墨十錠・箋紙二巻を賞す。
十九日、山高水長にて花灯・烟火を賞看し、克食を賜る。仍お随いで慶豊図に入り、灯戯を賞看し、克食を賜る。
右、琉球国王に咨す
乾隆五十三年(一七八八)二月 日
注*本文書の咨覆は〔七七―〇五〕である。
(1)瀛台 北京の西苑の太液池のなかにある宮室。夏の間、皇帝がここで政務を執ることもあった。
(2)西華門 紫禁城の西門。紫禁城は正門にあたる午門、北の神武門、東の東華門、西の西華門があった。
(3)桌張 卓張とも。テーブル料理。
(4)太和殿 紫禁城内の宮殿の一つ。宮城内で最大の建築物。現在の建物は康煕三十四年(一六九五)重建。即位の式典や朝賀の礼(元旦)、万寿節(皇帝の誕生日)など国家の重要行事の多くが行われた。
(5)花大荷包 花模様のついた大型の袋物。
(6)大蒙古包 「包」は蒙古人の移動式の居住テント。円明園のなかの山高水長で、蒙古式のテントを設置して宴をもよおしたことは、乾隆五十一年の正議大夫阮廷宝の家譜にも出てくる(『家譜(二)』一八四頁)。
(7)花灯 元宵節に飾られる提灯。
(8)賞看 (皇帝の)命を受けて鑑賞する。
(9)元宵 餡入りだんご。旧暦正月十五日の元宵節の日に食す。
(10)七言律詩 このときの副使阮廷宝の家譜には「上元賜宴賞灯奉 旨恭紀 聖恩二首」と題して次の詩がある。「弾丸海島細微臣元夜随班沐 帝仁玉殿伝柑頒 御宴金門掛綵賞 王春繞林烟火輝天上満砌歌声奏 紫宸瞻仰 龍顔惟咫尺渾身徧洽 聖恩新」「上元御苑賜華筵 玉輅龍旂出日辺扈 駕王公盈殿下献芹遠价侍階前灯聯火樹銀花燦歌舞覧裳彩色鮮中外臣僚承 寵異昇平共祝万斯季」(『家譜(二)』一八四頁)。