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資料詳細
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-39-18 朝鮮国王より琉球国あて、漂流人送還を謝した琉球国の咨への回咨(一五九七、八、六)
朝鮮国王(李昖)隣好を敦くして厚恩に酬ゆる事の為にす。
万暦二十三年(一五九五)二月初八日、賀至せる陪臣の刑曹参判閔汝慶等有りて貴国の咨を齎到するに前事あり。
窃かに照らすに、海邦は俱に禹の績に都す。緬かに惟うに、祖・父封疆を継守し、講信修睦して始終懈らず、深く帝臣の戴を堅くし、幸いにして上国の塵を尾う。幼沖を以て挙げて国事を署するを忝くし、日夜憂勤し、乾乾として惕若たるも、莅みて堪えざるを恐る。奈んせん生きて覆載を同じくするも、地は北南に隔たる。一堂に会晤するに由無しと雖も・実に思いを肝膈に馳す。為照するに、上年、本国の差わす所の進貢の官員、京師にて常に貴国の使臣に遇い、傾蓋して与に語り備に聞き、人民・政事・土地・物産を詢うを荷くす。踵を帰して啓知するに、重く遠念を労るを見るに足る。此の情、此の義、人をして激切して感佩せしむ。数歳、船の往来して以て音信を通ずるを乏しくす。而れども図報せんとするの一念は須臾も忘れず。
及び、照らすに、万暦十八年(一五九〇)、本国所属の太平山の土官の要宇等、部衆を率いて米布を進運して国に来るに、風を被りて貴轄の港地に飄到す。津隘の査審するに是れ琉球の人民に係わる。優恤すること甚だ厚く、差官して遼東に導送し、転じて京師に詣らしむるに、伏して鴻臚寺序班を欽差し応付を護給し、直ちに福建に至りて貢船に順搭して帰国し故土に復還せしむるを蒙る。陳情は宣布し、厚恩を録白す。主を愛して庶に及ぼす。徴、此れに尽きたり。挙国の臣僚と与に惟だ碑に勒し銘に刻みて功徳を頌繕するのみ。茲に歳の貢期なれば、特に正議大夫鄭礼・使者馬富多・通事蔡奎等を差わし、表を齎し京に赴き進貢せしむ。瓊瑤の報無きを赧ずるも、顓ら具して後に開す絹匹・珍蔵は恭しく使者に托して帯回せしめ、献上して以て葑菲の微誠を伸ぶ。伏して蘄るに貴国、祚は山海に綿なりて万世に藩屛の固きを覩、寿は岡岳に斉しく、億代に耆頤の尊を仰がんことを。薫翰の衷曲もて謹んで此に箋申す。万望むらくは照験して鑑納せんことを、等の因あり。此れを准く。
為照するに、我が皇上の声教の曁ぶ所、普天の下、凡そ民社有り。冠帯して国たる者は皆皇上の臣子なり。即ち俱に北面して命を受くる有れば兄弟の義と為す。豈に宜しく遠近を以て殊つべけんや。然れども敝邑は京師を距つること三千余里なり。貴邦は風温を渉ること約そ幾日か可りの程にして以て南徼に抵り、之由り以て京師に至るまで又乃ち六千余里なり。蓋し二国の相い距つること啻に万里の遠きのみならず、而して躬ら朝聘して以て京師に聚まるを得ざれば、則ち又何に因ってか以て邂逅し交際するの私を得んや。独り行人の往来あり、有時として相い値いて、其の土地・風俗を談ずるのみ。此れに因り之を得、髣髴として以て悒悒の衷を慰むる者、想いは之を同じくするなり。来咨に、此の情、此の義、人をして激切せしむ、の云いあり。豈に重ねて相感せざらんや。
及び査するに、万暦十八年(一五九〇)の間、貴邦の人民の船を駕して敝境に漂到する者有り、而して訳審するに其れ他無し。以為えらく、事は矜哀す可し。我人と何ぞ異ならんや、と。即ち為に差官して遼東に押送し、以て備に奏知して転解せしむ。而して顧みて一咨の相い聞ゆるを闕きたる者、敝邑は義として私交を謹むこと壌地の相い接せざるに於てするに縁ると雖も、亦た多く其の不敏を見るなり。逎者、一尺の書を辱くし、副うるに両色の幣を以てし、委曲に遠問す。而して辞に曰く、相い謝す、と。夫れ馬牛の其れ風するは末界の微事なれども、越逐して復らざれば則ち昔は常刑有り。況んや我が友邦をや。俱に皇上の仁威を奉ずれば、敢えて其の人物を獲え或いは攘い或いは残いて還さざるの理有らんや。此にして謝を得て、則ち愧ず。然れども好音に頼りて遐てざるの心を見る。何ぞ幸いなる、何ぞ幸いなる。鄙忱の以て宣導する無きも、後に土物の菲薄を開し、用て冬至の令節に進賀する陪臣奇自献に付し、京師に齎到し、貴邦の使臣有るに遇えば、即ち与えて交送せしむ。前より二年、是くの如くする者再びなれども未だ遇わず、今も亦た必し難きなり。惟だ万里相い領するを幸う外、祝る所は時に順い加愛せんことを。紙に臨みて忞忞の至りに勝えず。此の為に、合行に回咨すべし。請う、照験し領納して施行せんことを。須らく咨に至るべき者なり。
計開
白苧布二十匹
白綿紬二十匹
人参二十斤
右、琉球国に咨す
万暦二十五年(一五九七)八月初六日
隣交を敦くして厚恩に酬ゆる事
咨
注*本文書と一部同文の琉球国あて咨文が『李朝実録』宣祖二十九年(万暦二十四)八月甲寅の条に記載されている。この年には琉球国使に渡すことができず、翌年、一部書き変えられたのが本文書であろう。
(1)朝鮮国王 第十四代国王、宣祖、李昖。在位一五六七-一六〇八年。
(2)刑曹参判 李朝では、明朝の六部にあたる行政機関が六曹と呼ばれ、吏・戸・礼・兵・刑・工の各曹を置いた。各曹には判書一員(正二品)、参判一員(従二品)、参議一員(正三品)を置いた。
(3)貴国の咨 「窃かに」から注(12)まで。
(4)禹の績に都す 天が諸侯に、都を禹の治水の功業の地に置くことを命じた、とする『詩経』の語句による。
(5)会晤 面会する。
(6)肝膈 肝と膈(胸と脾との間)。転じて、心の中。
(7)傾蓋 初めて会って旧友のように親しくすること。
(8)要宇等…復還せしむるを蒙る 『李朝実録』宣祖二十二年(万暦十七)七月戊辰の条に、「琉球国商人三十余名漂到珍島、解送干中原、順付冬至使之行」とあり、翌二十三年(万暦十八)正月甲辰の条には「琉球国人漂到本国、差官押送遼東、請転奏解還」とある。一方『明実録』万暦十七年十一月辛亥の条には、朝鮮国の入賀の陪臣の上奏したこととして「本年六月十二日、有異舡一隻、向本国全羅道南桃浦抛泊、…持印信公文、俱写大明万暦字様、将男婦四十六名獲至、訳得、一名要宇、一名厚女注口、俱係大琉球国人、…今人口数多、先将要宇・厚女注口二名、帯向京師、其余俱送遼東都司転解、礼部査、果有嘉靖年事例、請勅奨朝鮮、令要宇等暫住会同館、咨行遼東、将四十四人解京、仍賞胖襖・䩺鞋、給与関文、差通事送至福建、遇便遣帰、従之」とある。
(9)津隘 関津把隘の略か。水陸の要衝に設けられた役所又は軍事的拠点か。
(10)正議大夫鄭礼…進貢せしむ 鄭礼らの進貢の執照〔三二-〇一〕の日付は、万暦二十一年十二月二十六日。
(11)耆頤 年長者のこと。耆はとしより、頤はあごで指図する。
(12)等の因あり 注(3)の咨の終り。
(13)民社 人民と社稷。
(14)馬牛の其れ風する さかりがつき相手を求めて遠くへ逃走すること。転じて互いに全く関係のないこと。
(15)越逐 境界を越えて追いかける。
(16)人参二十斤 総注の『李朝実録』では三十斤。
朝鮮国王(李昖)隣好を敦くして厚恩に酬ゆる事の為にす。
万暦二十三年(一五九五)二月初八日、賀至せる陪臣の刑曹参判閔汝慶等有りて貴国の咨を齎到するに前事あり。
窃かに照らすに、海邦は俱に禹の績に都す。緬かに惟うに、祖・父封疆を継守し、講信修睦して始終懈らず、深く帝臣の戴を堅くし、幸いにして上国の塵を尾う。幼沖を以て挙げて国事を署するを忝くし、日夜憂勤し、乾乾として惕若たるも、莅みて堪えざるを恐る。奈んせん生きて覆載を同じくするも、地は北南に隔たる。一堂に会晤するに由無しと雖も・実に思いを肝膈に馳す。為照するに、上年、本国の差わす所の進貢の官員、京師にて常に貴国の使臣に遇い、傾蓋して与に語り備に聞き、人民・政事・土地・物産を詢うを荷くす。踵を帰して啓知するに、重く遠念を労るを見るに足る。此の情、此の義、人をして激切して感佩せしむ。数歳、船の往来して以て音信を通ずるを乏しくす。而れども図報せんとするの一念は須臾も忘れず。
及び、照らすに、万暦十八年(一五九〇)、本国所属の太平山の土官の要宇等、部衆を率いて米布を進運して国に来るに、風を被りて貴轄の港地に飄到す。津隘の査審するに是れ琉球の人民に係わる。優恤すること甚だ厚く、差官して遼東に導送し、転じて京師に詣らしむるに、伏して鴻臚寺序班を欽差し応付を護給し、直ちに福建に至りて貢船に順搭して帰国し故土に復還せしむるを蒙る。陳情は宣布し、厚恩を録白す。主を愛して庶に及ぼす。徴、此れに尽きたり。挙国の臣僚と与に惟だ碑に勒し銘に刻みて功徳を頌繕するのみ。茲に歳の貢期なれば、特に正議大夫鄭礼・使者馬富多・通事蔡奎等を差わし、表を齎し京に赴き進貢せしむ。瓊瑤の報無きを赧ずるも、顓ら具して後に開す絹匹・珍蔵は恭しく使者に托して帯回せしめ、献上して以て葑菲の微誠を伸ぶ。伏して蘄るに貴国、祚は山海に綿なりて万世に藩屛の固きを覩、寿は岡岳に斉しく、億代に耆頤の尊を仰がんことを。薫翰の衷曲もて謹んで此に箋申す。万望むらくは照験して鑑納せんことを、等の因あり。此れを准く。
為照するに、我が皇上の声教の曁ぶ所、普天の下、凡そ民社有り。冠帯して国たる者は皆皇上の臣子なり。即ち俱に北面して命を受くる有れば兄弟の義と為す。豈に宜しく遠近を以て殊つべけんや。然れども敝邑は京師を距つること三千余里なり。貴邦は風温を渉ること約そ幾日か可りの程にして以て南徼に抵り、之由り以て京師に至るまで又乃ち六千余里なり。蓋し二国の相い距つること啻に万里の遠きのみならず、而して躬ら朝聘して以て京師に聚まるを得ざれば、則ち又何に因ってか以て邂逅し交際するの私を得んや。独り行人の往来あり、有時として相い値いて、其の土地・風俗を談ずるのみ。此れに因り之を得、髣髴として以て悒悒の衷を慰むる者、想いは之を同じくするなり。来咨に、此の情、此の義、人をして激切せしむ、の云いあり。豈に重ねて相感せざらんや。
及び査するに、万暦十八年(一五九〇)の間、貴邦の人民の船を駕して敝境に漂到する者有り、而して訳審するに其れ他無し。以為えらく、事は矜哀す可し。我人と何ぞ異ならんや、と。即ち為に差官して遼東に押送し、以て備に奏知して転解せしむ。而して顧みて一咨の相い聞ゆるを闕きたる者、敝邑は義として私交を謹むこと壌地の相い接せざるに於てするに縁ると雖も、亦た多く其の不敏を見るなり。逎者、一尺の書を辱くし、副うるに両色の幣を以てし、委曲に遠問す。而して辞に曰く、相い謝す、と。夫れ馬牛の其れ風するは末界の微事なれども、越逐して復らざれば則ち昔は常刑有り。況んや我が友邦をや。俱に皇上の仁威を奉ずれば、敢えて其の人物を獲え或いは攘い或いは残いて還さざるの理有らんや。此にして謝を得て、則ち愧ず。然れども好音に頼りて遐てざるの心を見る。何ぞ幸いなる、何ぞ幸いなる。鄙忱の以て宣導する無きも、後に土物の菲薄を開し、用て冬至の令節に進賀する陪臣奇自献に付し、京師に齎到し、貴邦の使臣有るに遇えば、即ち与えて交送せしむ。前より二年、是くの如くする者再びなれども未だ遇わず、今も亦た必し難きなり。惟だ万里相い領するを幸う外、祝る所は時に順い加愛せんことを。紙に臨みて忞忞の至りに勝えず。此の為に、合行に回咨すべし。請う、照験し領納して施行せんことを。須らく咨に至るべき者なり。
計開
白苧布二十匹
白綿紬二十匹
人参二十斤
右、琉球国に咨す
万暦二十五年(一五九七)八月初六日
隣交を敦くして厚恩に酬ゆる事
咨
注*本文書と一部同文の琉球国あて咨文が『李朝実録』宣祖二十九年(万暦二十四)八月甲寅の条に記載されている。この年には琉球国使に渡すことができず、翌年、一部書き変えられたのが本文書であろう。
(1)朝鮮国王 第十四代国王、宣祖、李昖。在位一五六七-一六〇八年。
(2)刑曹参判 李朝では、明朝の六部にあたる行政機関が六曹と呼ばれ、吏・戸・礼・兵・刑・工の各曹を置いた。各曹には判書一員(正二品)、参判一員(従二品)、参議一員(正三品)を置いた。
(3)貴国の咨 「窃かに」から注(12)まで。
(4)禹の績に都す 天が諸侯に、都を禹の治水の功業の地に置くことを命じた、とする『詩経』の語句による。
(5)会晤 面会する。
(6)肝膈 肝と膈(胸と脾との間)。転じて、心の中。
(7)傾蓋 初めて会って旧友のように親しくすること。
(8)要宇等…復還せしむるを蒙る 『李朝実録』宣祖二十二年(万暦十七)七月戊辰の条に、「琉球国商人三十余名漂到珍島、解送干中原、順付冬至使之行」とあり、翌二十三年(万暦十八)正月甲辰の条には「琉球国人漂到本国、差官押送遼東、請転奏解還」とある。一方『明実録』万暦十七年十一月辛亥の条には、朝鮮国の入賀の陪臣の上奏したこととして「本年六月十二日、有異舡一隻、向本国全羅道南桃浦抛泊、…持印信公文、俱写大明万暦字様、将男婦四十六名獲至、訳得、一名要宇、一名厚女注口、俱係大琉球国人、…今人口数多、先将要宇・厚女注口二名、帯向京師、其余俱送遼東都司転解、礼部査、果有嘉靖年事例、請勅奨朝鮮、令要宇等暫住会同館、咨行遼東、将四十四人解京、仍賞胖襖・䩺鞋、給与関文、差通事送至福建、遇便遣帰、従之」とある。
(9)津隘 関津把隘の略か。水陸の要衝に設けられた役所又は軍事的拠点か。
(10)正議大夫鄭礼…進貢せしむ 鄭礼らの進貢の執照〔三二-〇一〕の日付は、万暦二十一年十二月二十六日。
(11)耆頤 年長者のこと。耆はとしより、頤はあごで指図する。
(12)等の因あり 注(3)の咨の終り。
(13)民社 人民と社稷。
(14)馬牛の其れ風する さかりがつき相手を求めて遠くへ逃走すること。転じて互いに全く関係のないこと。
(15)越逐 境界を越えて追いかける。
(16)人参二十斤 総注の『李朝実録』では三十斤。