琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-31-31 世子尚寧の、命により調査した関白秀吉の動静を報告するため使者守達魯等を遣わす執照(一五九二、九、二三)
琉球国中山王世子尚(寧)、倭情を哨探する事の為にす。
本年(一五九二)六月二十六日、貢畢りて回還するに、大夫鄭礼等、貴司の咨文を順齎し、兼ぬるに本員に信牌一面を給せらる。部院の咨文を遵奉するに、務要めて心を用いて的実の情由を査探し、該国の印信の公文を取具し、限を九月に定めて風に乗りて閩へ赴き報銷し、以て憑りて撫院に転報し、部に咨して、施行すべし、等の情あり。国に到る。即ちに方外の所属の北山地方へ行かしめ、査得するに、声聞すらくは、関白、自ら王となりて船万隻を造り、倭国六十六州は盤糧を分備し各々船隻に駕して、限るに本年初冬を以てし、路は朝鮮国を経て大明に入犯せんとするの事情あり、と。飛報す。此の為に先ず使者守達魯・冠帯舎人梁守徳・火長鄭思存等を遣わし、咨文一道を齎捧し、水梢一十五名を率領し、小船一隻に坐駕し前来して通報せしむ。此の為に今、洪字第六号半印勘合執照を給して舎人・火長等に付し、前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して因って遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の執照は須らく出給に至るべき者なり。
計開
使者一員 守達魯 人伴六名
冠帯舎人一員 梁守徳
管船火長一名 鄭思存
梢水共に九名
右の執照は冠帯舎人・火長の梁守徳・鄭思存等に付し、此れに准ぜしむ
万暦二十年(一五九二)九月二十三日給す
執照

注*倭情すなわち関白(秀吉)の動静を偵探するよう福建巡撫などに要請されて、琉球が送った最初の報告が本文書である。続いてその後の報告は〔三二-〇五〕〔三二-〇六〕である。中国側も史世用などを日本へ送りこんで事情をさぐった。これらをめぐって関連の文書として〔三二-〇二〕〔〇七-〇二〕〔〇七-〇四〕〔〇七-〇六〕がある。なお〔〇七-〇四〕注(14)(24)を参照。
(1)本員 その者。ここでは鄭礼。
(2)信牌 巡撫などが人を派するに際し具体的な命令や指示を伝える下行文の一つで「用語解説」の「牌」を参照。
(3)部院 福建巡撫の張汝済(万暦十八年六月ごろより二十年十二月まで任)。
(4)報銷 報告して任務を完了すること。銷はここでは公簿の記録を抹消すること。
(5)盤糧 運んでゆく糧食(軍糧)。
(6)鄭思存 久米村鄭氏(支流)の九世。生没年不詳(『市史宝案抄』二〇三頁)。
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TEL:098-888-3939 / FAX:098-888-3944
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