{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
陳元輔の漢詩と琉球
ー『枕山楼詩集』を中心にしてー
上里賢一
はじめに
陳元輔(字昌其)は、福建省・福州の人で、その書斎の堂号を枕山楼といった。『枕山楼詩集』の林譚の序文に「自余庚戌、得交昌其、時方束髪」とあり、庚戌(一六七〇年・康熙九)に「束髪」(十五歳)だとすると、一六五六年(順治十三)生まれとなる。程順則(名護親方寵文)は、一六六三年(康熙二)に生まれているから、程順則よりも数えで八歳年長である。程 順則の編纂した『中山詩文集』所収「雪堂贈言」には「候補県丞」とあるので、役人としては地方官吏でおわった人物である。没年は未詳。
程順則は、一六八三年(康煕二十二)二十一歳の時、勤学(福州で勉学する留学生)となって福州に赴き、八七年(康煕二十六) 五月まで滞在し、二年後に再度渡閩して九一年(康熙三十)まで滞在している。この二十一歳から二十九歳までの 、二年の時をはさんで福州の陳元輔・竺天植(字鏡筠) の門下で学んだ。この間、福州の役人や詩人たちと交流を重ねているが、そのなかでも、陳元輔との交流は師弟愛と人間愛に満ちたものとして際立っている。
たとえば、陳元輔は程順則の母親を讃える「程太母恭人伝」をはじめ、一七〇二年(康熙四十一)に十四歳で夭逝した次男程摶万の作品集「焚余稿」の序文、「雪堂燕遊草」序文、『指南広義』序文など、程順則の著作のほか、「雪堂紀栄詩」序文、「雪堂贈言」など程氏を讃える文章を書いている。一方、程順則は陳元輔の「枕山楼詩集』『枕山楼文集』、『枕山楼拾玉詩話』(『枕山楼課児詩話』)などを、自費を投じて出版している。両者の交流がいかに親密なものであったかがわかるだろう。
『枕山楼詩集』『枕山楼文集』を見ると、陳元輔は福州の柔遠駅(琉球館)を舞台にして、程順則をはじめ多くの琉球人との交流があったことがわかる。また、『中山詩文集』に収められている「中山自了伝」、曾益の「執圭堂詩草」序文、蔡鐸の「観光堂遊草」序文なども、琉球人との日常的な行き来のなかから生まれたものであることは想像に難くない。陳元輔の著作には、琉球と清国の官吏や詩人たちが、両国の友好的な外交関係に支えられて、きわめて深い人間的な信頼関係を築いていたことが表れている。
冊封使とその従者の著作を除けば、清国においてこれほど多彩な琉球関係記録を残した人物は稀である。しかも、冊封使とその従者らの記録は、どうしても公的な色あいが濃くなることを避け難いが、陳元輔の文章や詩には、作者自身の心情はもちろん、海を越えてやってきた琉球人の夢や気概、挫折の悲哀や郷愁など、人生の諸相も反映されており、冊封使録などとは違った魅力を持っている。その一端を紹介する所以である。
凡例
一、ここで紹介する『枕山楼詩集』は、程順則(名護親方寵文)が、その師である陳元輔(字昌其)の詩集を自費で出版したものである。同じ体裁の『枕山楼文集』と一対を成しているが、もともと一つの帙に入っていたものか、別々になっていたものか、今後の調査にまちたい。
一、使用したテキストは、昌平坂学問所、文化甲子(文化元年・一八〇四年)の印のある国立公文書館所蔵のものである。
一、テキストには、所蔵者の手によると思われる旬読点、圏点、注記がある他、二つの序文には訓点も付いている。
一、ここに紹介する作品は、作者の陳元輔と琉球の詩人との関係が直接詠まれていると思われる作品に限定し、目次の詩題の上に◯印を付してある。
一、作品の原文には、できるだけテキストの本文で使用されている文字を使うことにしたが、わかりやすくするために、俗字、異体字、別体、古字、本字などは通行体に改めた。また、読み下しでは旧字体はできるだけ新字体に、仮名遣いも新仮名遣いに改めた。
一、テキストの中で明らかに誤字と思われるものは、その正字を右傍に(――カ) と記した。
『枕山樓詩集』目次
序 鄭宗主
〇 序 林潭
寶劍行
登鼓山屴崱峰
釣龍䑓懷古
九日登凌霄臺
病馬(九首)
鶯
燕
猿
寄潘暉明
遊白雲寺
無題(三首)
南昌寄家書
豫章送顔儀懷之陳總戎署中
懷張士升
懷林子秀
題王氏草堂
過芝山別徑訪慧源上人
暁雨渡新道
尋梅塢故址
竹醉日同元聲叔訪林二恥於晩香園
楓葉
病宿義溪
軍中雜詩(四首)
有感
莫(暮カ)春李乾生招飮越日乾生有建州之行
送金西玉參軍涵江
送高子厚明府移居桂湖
丹陽曉行
寧陽署中感事
安仁溪曉發
烏石清泉亭
郢中寄懷林二恥
仙棗亭觀呂祖睡像
滴露菴訪璽直大師
贈沔水別駕陸士佩
陸士佩署中觀劇
題酒家姫扇頭并引
景陵謁鍾伯敬譚友夏兩先生祠
玉山明府鄒弘景先生招飮怡閣
壽鄒弘景先生
鄒西豊招飮
鄒對臣招飮
雪夜讀杜詩
楚中卽事(五首)
楚江春思(五首)
乾灘留別璽直上人還閩
送林子秀之建州
安兵部得男索詩
◯送魏牧公入貢
◯送曾虞臣入貢
◯贈梁得濟
◯曾子浴歸自長溪與予同過瓊河古驛訪梁得聲夜話并索其新詩讀之
◯上巳仝梁本寧得聲得濟陳魯水金浩然遊烏石山觀朱夫子石室清隱 石刻
◯題鄭克叙小影(二首)
◯秋夜望中樓懷梁本寧
◯秋夜望中樓懷梁得濟
◯送蔡聲亭入貢
◯十二夜蔡文敏竹樓坐月遅竺鏡筠不至
◯冬夜同王孔錫王邦菴集梁得聲山樓夜話分得溪字(二首)
◯雨夜留宿蔡禎菴山樓同竺鏡筠詩話
送林介人之景陵署中省親
懷曾子浴參軍長溪
題畫
喜叔志三入泮
◯秋夜望中樓懷梁得濟
◯春日留飮周熙臣山樓
◯春杪瓊川阻雨因過蔡聲亭山樓茶話
望中樓餞春(二首)
家逸甫移居城東
題畫
送林介人重遊竟陵
十六夜南樓醉月
秋日郊行
秋夜尋僧不遇
◯秋江雨泛同雪堂諸子
烏石山尋蟠桃塢石刻
◯吾兄詩酒繼陶君爲中山程寵文賦
◯江樓雨夜集飮越日蔡文敏歸中山
◯夏杪同諸子雪堂夜飮得秋字
◯喜同王孔錫盧若采夜集程寵文雪堂話月分得七陽
秋日驛樓寄懷成均諸子
懷盧若采
送僧重登方丈
過仙塔
驛樓題壁
過花封舊宅
◯和程寵文壺川尋牛田休隱居韻(二首)
寄懷戴冕卿參軍䑓灣(二首)
立秋
瓊川南樓夜坐有懷林二恥歸隱峡江曾子浴參軍長溪
題瓊川南樓
鳳坂訪高以嘉不遇
道山尋孫子長先生讀書處
南樓晩眺
秋日同竺鏡筠郊行自新橋至鳳坂留飮高以純山堂
瓊川九日
◯夜宴程氏雪堂晩秋(二首)
晩秋
登釣龍䑓觀陸帥守全閩第一江山石刻
過鳳坂留飮高以嘉山齋
留別潜園主人
惟宗遊鶴巣作次韵却寄
鼇峰雜感(十首)
秋懷(十首)
林二恥避亂入城過枕山樓話舊(二首)
李乾生過訪
訂九日同林二恥登石鼓不果
峡江夜泊
◯冬杪讌集程寵文雪堂喜同方徳祖鳳泰良蔡紹齋夜話
◯元夕宴集程寵文立雪堂分得歡字
秋日江樓遠眺
◯元夕同程寵文盧若采留飮蔡紹齋江樓
◯題程寵文立雪堂(二首)
春夜留飮温森山江樓看月
金錦江席上喜談杜詩
秋夜枕山樓懷林二恥
湧泉亭曉望
家逸父移居芝山
弔山花〈有引〉
〇送程寵文歸中山(十首)
序(林譚)
程子寵文從余友昌其游、相得甚懽。一日袖昌其詩、問序於余曰、此師半生心血也、茲欲壽之梨棗。先生固知師之深者、願乞一言、弁其首。余愧不知詩、然知昌其獨深、又何可以無言。蓋昌其詩凡三變矣。自余庚戌、得交昌其、時方束髪、愼交遊、愛顰笑、嘯讀一室、風雨寒暑弗輟、余間披其帷、相與較論售世事業。覘其胸中眼中、若在峨嵋天半矣。而月夕花辰、時借吟詠、寄興清新雋永、恍如月立空山、水流殘夜、無一點塵埃氣、此昌其少年時詩也。然而非其好也。以後南轅北轍、不相聚首、甲寅乙卯、予學第一山下、與昌其居益近交益密、攻苦磨礪益力、彼此隱衷益可相告語。廼此日之昌其大非昔日之昌其矣。有時見其携琴抱史、坐梧桐樹下矣。有時見其觸緒興懷、翰墨淋漓、滿人間矣。有時見其渉江陟嶺、作平原十日歡矣。有時見其焚書碎硯、慟哭青山矣。有時見其痛飮讀楚辭、不則按劍咏盧照鄰悲道窮詞、江淹恨賦、或徐文長疲驢破帽詩矣。孤懷幽緒不一、悉於詩而發之、故昌其癸丑以後詩、多感愴牢騒、猶之少陵在曲江虁府諸作、一字一涙者。無非以遇與心違、懷才莫展耳。丙辰深秋、余扁舟南還、旅食五山、不才多病、與昌其又成風馬牛、迄今十有餘載。而昌其或磨盾草檄、浪賦從戎、或匹馬孤舟、遠尋知巳(己力)、閲歴久而識膽深。識膽深而性情摯向之怫悒無聊、忽啼忽笑者、今皆韜鋒歛頴、坐春風中、讀其近作、顥顥噩噩。欝而善愁、婉而多風。吾不意昌其寸管片腸變至此也。世有如此之詩、蔵之名山、以待傳人可也。即懸之國門、與衆共讀、亦無不可也。此寵文所以捐貲授梓、欲爲其師傳不朽也。夫年家同學弟林潭拜題於峭門之石樓。
序(林譚)
程子寵文、余が友昌其に従いて遊び、相得て甚だ懽ぶ。一日昌其が詩を袖にして、序を余に問いて曰く、此れ師が半生の心血なり、茲に之を梨棗に寿せんと欲す。先生は固より師を知ることの深き者なれば、一言を乞いて、其の首に弁ぜんことを願うと。余詩を知らざるを愧ず、然れども昌其を知ること独り深ければ、又何ぞ以て言無かる可し。
蓋し昌其が詩、凡そ三変せり。余庚戌より、昌其と交わるを得たり、時に方に束髪たりしも、交遊を慎み、顰笑を愛しみ、一室に嘯読し、風雨寒暑にも輟めず。余間ま其の帷を披き、相与に售世の事業を較論す。其の胸中眼中を覘うに、峨嵋の天半に在るが若し。而も月夕花辰、時に吟詠を借りて、興を清新雋永に寄せ、恍として月の空山に立ち、水の残夜に流れ、一点の塵埃の気無きが如し、此れ昌其の少年の時の詩なり。然れども其れを好しとせざるなり。
以後南轅北轍して、相聚首せず。甲寅乙卯、予第一山の下に学び、昌其の居と益ます近くなれば、交わり益ます密に、攻苦磨礪して益ます力め、彼此の隠衷を益ます相告げ語る可し。廼ち此の日の昌其は大いに昔日の昌其にあらず。時には其れ琴を携え史を抱きて、梧桐の樹下に坐するを見ること有り。時には其れ緒に触れて懐を興し、翰墨淋漓として、人間に満つるを見ること有り。時には其れ江を渉り嶺に陟り、平原十日の歓を作すを見ること有り。時には其れ書を焚き硯を砕きて、青山に慟哭するを見ること有り。時には其れ痛飲して楚辞を読み、則だ剣を按でて盧照鄰の悲道窮詞、江淹の恨賦のみならず、或いは徐文長の疲驢破帽の詩を咏ずるを見ること有り。孤懐幽緒一ならず、悉く詩に於いて之を発す、故に昌其の癸丑以後の詩、多く感愴牢騒にして、猶お之少陵の曲江虁府に在りし諸作の、一字一涙する者のごとし。以て遇せらるること心と違い、才を懐くも展ぶること莫からざる無きのみ。
丙辰の深秋、余扁舟して南に還り、五山に旅食し、不才多病にして、昌其と又風馬牛と成り、今に迄ること十有余載なり。しかるに昌其或いは磨盾草檄し、賦を浪し戎に従い、或いは匹馬孤舟して、遠く知己を尋ね、閲歴すること久しうして識胆深し。識胆深くして性情向くところの怫悒無聯を摯り、忽ち啼き忽ち笑う者も、今皆鋒を韜し頴を歛す。春風の中に坐して、其の近作を読むに、顥顥噩噩たり。欝として善く愁い、婉として多く風あり。吾意わざりき昌其が寸管片腸の変じて此に至らんとは。世に此の如き詩有れば、之を名山に蔵して、以て伝うる人を待つも可なり。即ち之を国門に懸けて、衆と共に読むも、亦可ならざる無し。此れ寵文が貲を捐して梓を授け、其の師を不朽に伝うるを為さんと欲する所以なり。夫れ年家同学の弟林潭拝して峭門の石楼に題す。
◯程子寵文 程順則(康熙二年〔一六六三〕〜雍正十二年〔一七三四〕)・名護親方寵文のこと。寵文は程順則の号。書斎の堂号を「雪堂」「立雪堂」という。◯昌其 陳元輔(順治十二年〔一六五五〕〜?)の号。陳元輔は、程順則の福州留学時の師匠。◯相得 互いに気が合う。◯寿 鐫刻して長く残す。◯梨棗 版木。むかし、版木の材料として賞用された。◯庚戌 一六七〇年(康熙九年)。〇束髪 男子がはじめて髪を結ぶこと。成童(十五歳)のことをいう。◯清新雋永 清新ですぐれて永遠なるもの。◯南轅北轍 南に行こうとしてかえって北に向かう。行動が目的と反対になること。◯隠衷 人に言えない苦衷。◯盧照鄰の悲道窮詞 盧照鄰は初唐の四傑のひとり。その詩は「幽玄清藻にして悲楚愁傷の韻多し」と言われる。なお原文では「照」を「炤」とするが「照」に通ずるので改めた。◯江淹の恨賦 江淹は六朝梁の時代の文章家。恨賦は、江淹の作った賦で『文選』に収録されている。恨みをのんで死ぬものの情を述べたもの。◯徐文長 明の徐渭(字は文長)。その詩は李白・李賀の間にあって、その文は蘇軾に学んで師よりも良いといわれる。◯癸丑 一六七三年(康熙十二年)のこと。陳元輔は十九歳頃となる。◯感愴牢騒 思うままにならないのを悲しむこと。◯少陵の曲江虁府諸作 少陵は杜甫のこと。曲江は長安と洛陽の間の黄河。杜甫が科挙に応ずるため長安に出てきたのは三十六歳の時だが、李林甫によって落とされて仕官の道を閉ざされ、苦労が始まる。四十四歳の時(七五五年)安禄山の反乱にあい、家族が離ればなれになるなど苦労が絶えず、杜甫の詩はいよいよ憂愁の色を深める。虁府は虁州のこと。杜甫の人生を憂えた諸作を指す。○丙辰深秋 一六七六年(康煕十五年)の晩秋。陳元輔は二十二歳。○風馬牛 まったく無関係なこと。陸游の詩に「愁与酒如風馬牛」とある。○磨盾 磨盾之暇。盾をみがく余暇の意。戦場における余暇。○怫悒無聊 気がふさぎ、心に心配ごとがあって楽しまない。○韜鋒歛頴 つるぎぶくろと筆さきをおさめる。すぐれた才能を隠すこと。○年家同学 年家は、科挙の試験に同年に合格した者が互いによびあう称。同学は、同じ先生や、同じ塾や学校で学ぶ、また、その友。
送魏牧公入貢 魏牧公の入貢するを送る
簡書初捧謁天衢 簡書初めて捧げて 天衢に謁す
喜有氷心映玉壺 喜びて氷心の玉壺に映ずる有り
夜月機絲逢織女 夜月機糸 織女に逢い
春風仙酒醉麻姑〈中山有麻姑山〉 春風仙酒 麻姑に酔う〈中山に麻姑山有り〉
京華國子新藜火〈時送官生入成均〉 京華の国子 藜火を新にし〈時に官生を送りて成均に入る〉
滄海勞臣舊虎符 滄海の労臣 旧き虎符
此去金臺瞻日近 此れ金台に去きて日を近くに瞻ん
燕山原是帝王都 燕山原より是れ帝王の都
○魏牧公 魏応伯(後に向姓に改む、順治七年〔一六五〇〕~康煕三十七年〔一六九八〕)・越来親方朝誠のこと。康煕二十五年(一六八六年)の進貢耳目官。○簡書 命令などの書きつけ。ここでは琉球国王の命令書。○天衢 衢は道のこと、天子のいます所に通ずる道。○氷心映玉壺 氷のように清く澄んだ心が玉の壺にあること。王昌齢の〔芙蓉楼送辛漸〕の詩に「一片氷心在玉壺」とある。○麻姑 仙女の名。美貌で手のつめが長く鳥に似ていたという。詩の原注にある「麻姑山」は、宮古島のこと。○藜火 あかりのこと。あかざの茎は杖となり、また、もやして灯火とする。○虎府 戦国時代の虎形の銅印、割符のように二つにわって使用した。○金台 金のうてな。○原注にある「官生」は、琉球王国時代に、明代は南京の、清代は北京の国子監に派遣された留学生のこと。「成均」は、太古の学校のことで、ここでは北京の国子監を指す。
送曾虞臣入貢 曽虞臣の入貢するを送る
曾聞三十六灣前〈中山屬島三十有六〉 曽て聞く三十六湾の前〈中山の属島は三十有六なり〉
一葉仙槎泛海天 一葉仙槎 海天に泛かぶ
帳裏授經傳禹貢 帳裏経を授け 禹貢を伝え
漢邊奉使繼張騫 漢辺に奉使して 張騫を継ぐ
金爐袖惹螭頭火 金炉袖を惹く 螭頭の火
錦纜風揺雉尾船 錦纜風に揺らぐ 雉尾の船
寄語橋門新子弟〈時送官生入成均〉 語を寄す橋門の新子弟〈時に官生を送りて成均に入る〉
逢人好説大夫賢 大に逢わば好みて説う 大夫の賢と
○曾虞臣 曽益(のち虁、順治二年〔一六四五〕~康煕四十四年〔一七〇五〕)・砂辺親方、虞臣はその号。朝京都通事、正議大夫などとして前後四回渡清しているが、これは、耳目官の魏応伯に従って、正議大夫として進貢した康煕二十五年のことと思われる。○禹貢 五経の一つである「書経」の編名。禹が定めた九州の土地の地理・産物・みつぎものについて記録している。○張騫 漢の時代の人。漢の武帝の時、中央アジアの大月氏に行き、十数年にわたる大旅行をして西域に関する知識をもたらし、東西交通をひらくきっかけをつくった。○螭頭 みずちの頭の形を彫刻した飾りで、碑・柱・印章などの上部についている。○雉尾船 「雉尾扇」を立てた船のこと。「雉尾扇」は、儀仗の一種。周囲に雉の羽を並べて飾りとした大扇で、供の者が捧げ持って行く。
贈梁得濟 梁得済に贈る
負笈乗槎過海門 笈を負い槎に乗りて海門を過ぐ
五年聲氣在中原 五年 声気 中原に在り
雲山夜繞三秋夢 雲山 夜繞る 三秋の夢
詞賦香銷六代魂 詞賦 香銷ゆ 六代の魂
愛客陳蕃常下榻 愛客 陳蕃常に榻を下し
讀書董子不窺園 読書す董子 園を窺わず
異時若上平准雅 異時 若し上平して雅を准しうすれば
好以文章報國恩 好き文章を以て国恩に報いん
○梁得済 梁漢(のち津、康煕四年〔一六六五〕~康煕四十年〔一七〇一〕)・名嘉地親雲上、得済はその字。康煕二十一年に読書習礼のため(いわゆる勤学)に福州に赴き七年滞在した。康煕三十六年接貢存留通事として魏士哲に随行する予定だったが、病気のため辞退している。健康上の理由もあって七年の留学経験は、使節としての任務よりも、使節の持参する公式文書や碑文などの作成に生かされた。○六代魂 中国の南北朝時代の南朝の精神のこと。○愛客 気に入った客。○陳蕃下榻 『蒙求』の標題。後漢の陳蕃が特に一榻を懸け置いて、徐穉らを優遇した故事。賓客を敬するたとえ。○董子不窺園 『蒙求』の標題に「董生下帷」とある。漢の董仲舒が帷を下ろして弟子に講誦し、三年園を窺わなかった故事。○上平 抬頭すること。文章を書くとき、貴人に関することを他の文字の下に書かず、次の行のはじめに書くこと。
曾子浴歸自長溪與予同過瓊河古驛訪梁得聲夜話并索其新詩讀之
曽子浴長渓より帰り、予と同に瓊河の古駅を過ぎ、梁得声を訪ねて夜話り、并せて其の新詩を索めて之を読む
同過瓊河訪所知 同に瓊河を過ぎて知る所を訪ね
江天明月照峨嵋 江天明月 峨嵋を照らす
故人千里歸閩嶠 故人千里 閩嶠より帰り
獨客三年讀楚詞〈得聲留閩三載未歸〉 独客三年 楚詞を読む〈得声閩に留り三載未だ帰らず〉
草閣久懸徐穉榻 草閣久しく懸く 徐穉の榻
花溪新賦杜陵詩 花溪新たに賦す 杜陵の詩
由來萍水相逢好 由来萍水 相逢ふを好み
且盡燈前酒一巵 且らく尽くす 燈前 酒一巵
○梁得声 梁鏞(康煕二年〔一六六三〕~康煕四十一年〔一七〇二〕)・ 国吉親雲上、得声はその字。康煕二十四年に読書習礼のため福州に赴き六年滞在。帰国後、同三十年に接貢存留通事として渡清したのを始め、数回の渡清の経験がある。○瓊河 福州の柔遠駅(琉球館)の側を流れて閩江に注ぐ川。○楚詞 中国楚の地方の歌。○徐穉榻 「陳蕃下榻」『蒙求』の標題。前出「贈梁得濟」詩(五五ページ)の注参照。○杜陵 杜甫のこと。○萍水 うきぐさが水のまにまにただよう意で、人が偶然に出会うたとえ。王勃の〔滕王閣序〕に「萍水相逢、尽是他郷之客」とある。
上巳仝梁本寧得聲得濟陳魯水金浩然遊鳥石山觀朱夫子石室清隱石刻
上巳、梁本寧・得声・得済・陳魯水・金浩然と同に鳥石山に遊び、朱夫子の石室に清隠の石刻を観る
吾道如今喜在南 吾れ道う 今南に在るを喜ぶが如し
横經子弟説新安 経を横えて 子弟に新たに安んぜるを説く
勝遊嚢滿蘭亭草 勝遊 嚢に満つ蘭亭の草
清隱風高石室寒 清隠 風高く石室寒し
苜蓿千秋香海國 苜蓿千秋 海国に香り
杏花三月落山壇 杏花三月 山壇に落つ
最憐有宋多逋客 最も憐む 宋に多く逋客有りしも
墨蹟猶留石上看 墨蹟猶お石上に留むるを看る
○梁本寧 梁邦基(順治七年〔一六五〇〕~康煕四十二年〔一七〇三〕)・内聞親雲上、本寧はその号。康煕十九年に進貢小船通事となって渡清し、以後、康煕二十四年・同三十七年の三回渡清している。○陳魯水 陳其洙(康煕六年〔一六六七〕~康煕三十三年〔一六九四〕)・幸喜通事親雲上、魯水はその字、号は道丈。康煕二十三年読書習礼のため福州に渡り六年滞在。康煕三十一年に存留通事として渡清した。○金浩然 金傅(康煕七年〔一六六八〕~康煕四十七〔一七〇八〕年)・手登根通事、浩然はその字。康煕二十三年読書習礼のため福州に渡り、同二十七年には朝京都通事にしたがって北京に赴き、同三十二年・三十六年・四十二年と渡清の経験がある。○鳥石山 福州市街の中央部にあり、于山・屏山(越王山)と城内三山をなす。また、全山いたる所に磨崖石刻があり、省クラスの重要文化財になっている。○苜蓿 草の名。うまごやし。○逋客 世をのがれ避けている人。隠者。
題鄭克叙小影(其一) 鄭克叙の小影に題す(其の一)
海邦曾道使君賢 海邦曽て道う 使君賢なりと
風雅人誇是謫仙 風雅人誇る 是れ謫仙
落筆懶題鸚鵡賦 落筆して懶く題す 鸚鵡の賦
開凾應續鷓鴣篇 函を開きて応に続くべし 鷓鴣の篇
千秋嘯傲長松下 千秋嘯傲す長松の下
三徑行吟蔓草邊 三径行くゆく吟ず 蔓草の辺
尺幅圖成秋未老 尺輻の図成るも 秋未だ老いず
東籬猶帶菊花烟 東籬猶お帯ぶ 菊花の煙
○鄭克叙 鄭士綸(順治十八年〔一六六一〕~康煕四十一年〔一七〇二〕)・宮城通事親雲上、克叙はその号。康煕二十一年存留通事となって福州に渡り、四年間滞在して帰国。その後、康煕二十五年・同三十一年・三十八年・四十年に渡清している。○小影 小形の肖像。○謫仙 天上の世界から、罪によって地上の人間界に流された仙人。俗世間を超越している人をほめて言うことば。「李白伝」に李白のことを「謫仙人なり」と言っている。○鸚鵡賦 文章の名。後漢の禰衡の作。○鷓鴣篇 鷓鴣は鳥の名。鷓鴣をよんだ詩句。○三径 庭の三つの小道。漢の蒋詡が庭に三径を作り、松・菊・竹を植えた故事から、隠者の住居の庭をいう。○東籬猶帶菊花烟 隠逸詩人の柤といわれる陶淵明の〔飲酒〕の詩(其五)に「采菊東籬下」という句がある。菊を東籬の君子という。
同 (其二) 同 (其の二)
賢勞舊識濟時才 賢労 旧より識る 済時の才
錦纜牙檣泛海來 錦纜牙檣 海に泛かべて来たる
仗節中原孤劍在 中原に仗節するに剣在り
擁書南面百城開 書を擁して南面し百城開く
芒鞵月印松花徑 芒鞋月に印す 松花の径
瓦竈烟清竹葉杯 瓦竈煙清し 竹葉の杯
覽勝他年過冀北 覧勝す他年 冀北を過ぎ
相逢好共話燕臺 相逢いて好しく共に燕台に話らん
○済時才 世の困難を救う才能。杜甫の〔送王十五判官扶持還黔中得開字〕の詩に「艱危深仗濟時才」とある。○芒鞋 わらぐつ。賤しい者のくつ。○竹葉 酒の名。○冀北 冀州の北部。名馬の産地。
秋夜望中樓懷梁本寧 秋夜中楼を望みて梁本寧を懐う
寂寂江樓獨閉門 寂寂たる江楼 独り門を閉し
驚心荒草暗銷魂 荒草に心を驚かし 暗に銷魂す
浮雲隔水秋聞雁 浮雲水を隔てて秋の雁を聞き
殘月空山夜聽猿 残月空山 夜猿を聴く
作賦有誰悲宋玉 賦を作るも誰か宋玉を悲しむこと有らん
相思何忍負王孫 相思うも何ぞ忍ばん 王孫に負けるを
今宵莫漫愁岐路 今宵 漫りに岐路を愁うる莫かれ
不盡離情寄酒樽 尽きざる離情 酒樽に寄す
○梁本寧 前出(五六ページ)の注参照。○銷魂 非常な悲しみやおどろきのために、たましいがぬけたようになる。○宋玉 戦国時代の楚の国のひと。屈原の弟子。○王孫 王者の子孫。
秋夜望中樓懷梁得濟 秋夜中楼を望みて梁得済を懐う
古驛蕭條四壁空 古駅蕭條として 四壁空し
傷心渭北與江東 傷心す渭北と江東にあるを
一天霜月懷人夜 一天の霜月 人を懐う夜
半榻秋山落葉風 半榻の秋山 落葉の風
鴻雁不來消息遠 鴻雁来たらず 消息遠く
蒹葭中斷夢魂通 蒹葭中断し 夢魂通ず
故園歸去如相憶 故園に帰り去るも 相憶うが如し
回首琴臺曲未終 回首す琴台 曲未だ終わらざるを
○梁得済 前出(五五ページ)の注参照。○渭北與江東 遠方にある友を思うこと。ひとりは渭水の北に、他は揚子江の東にあって、たがいに思いをはせる意。杜甫〔春日憶李白〕の詩に「渭北春天樹、江東日暮雲」とある。○蒹葭 「蒹葭秋水之情」の意にとる。哲人または朋友を思う心。『詩経』「秦風・蒹葭」に「蒹葭蒼蒼、白露為霜、所謂伊人、在水一方」とある。
送蔡聲亭入貢 蔡声亭の入貢するを送る
曾聞黄絹舊中郎 曽て聞く黄絹の旧中郎
此日分符入 帝郷 此の日 符を分ちて 帝郷に入る
航海帆飛仙客掉(棹カ) 航海帆を飛ばす 仙客の棹
登朝袖惹御爐香 登朝すれば 袖を惹く御炉の香
公餘常誦詩三百 公余 常に誦す 詩三百
望重偏宜使四方 望い重ねて偏えに宜し 四方に使いす
握手未幾愁判袂 手を握りて未だ幾ばくならず 判袂するを愁い
一樽梅雨斷人腸 一樽梅雨 人腸を断つ
○蔡声亭 蔡鐸(順治元年〔一六六四〕~雍正二年〔一七二四〕)・志多伯親方、字天将、号声亭。蔡温の父。康煕二年二十三歳の時勤学となって福州に渡るが、病気のため同年帰国。その後、康煕二十一年・同二十七年に使節として渡清している。康煕三十年(一六九一)から二十二年間総理唐栄司(久米村総役)をつとめ、『歴代宝案』、『中山世譜』などの編纂にあたった。○黄絹 黄色いきぬ。すぐれた文章。○中郎 官名、宿衛侍直をつかさどる。○詩三百 『詩経』のこと。『論語』に「子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪」とある。○判袂 たもとを分かつ。別れること。
十二夜蔡文敏竹樓坐月遲竺鏡筠不至
十二夜、蔡文敏の竹楼に坐し、月遅く竺鏡筠至らず
疑是王家舊竹樓 疑うらくは是れ 王家の旧竹楼かと
樓前風湧大江秋 楼前 風湧く 大江の秋
蘆花曲港藏漁火 蘆花曲港 漁火を蔵し
楊柳空村繋釣舟 楊柳空村 釣舟を繋ぐ
明月不隨流水去 明月 流水に随わずして去り
浮雲盡向海門收 浮雲 尽ごとく海門に向かいて収まる
清光此夜人何處 清光 此の夜 人何れの処ぞ
寂寂南州一榻留 寂寂たる南州 一榻を留む
○蔡文敏竹楼 祭文敏は福州の柔遠駅にいた琉球の人だが、詳しい伝記は不詳。竹楼は、その書斎の堂号。○竺鏡筠 福州の柔遠駅で琉球の使節や勤学らと親しく交流した人物。程順則の編纂した『中山詩文集』に収録されている「雪堂贈言」に作品がある他、「翠雲楼詩箋」(周新命)の序文も書いている。
冬夜同王孔錫王邦菴集梁得聲山樓夜話分得溪字(其一)
冬夜王孔錫・王邦菴と同に梁得声の山楼に集い、夜話して渓の字を分け得たり(其の一)
草閣霜深夜 草閣 霜深き夜
愁聞旅雁啼 愁いて聞く 旅雁の啼くを
潮来孤掉(棹カ)急 潮来たりて 孤棹急に
烟鎖萬山低 煙に鎖ざされて 万山低し
平野蕭蕭竹 平野 蕭蕭たる竹
寒蘆曲曲溪 寒蘆 曲曲たる渓
談心知舌短 心を談ずるに 舌の短きを知り
不覺月沈西 覚えず 月の西に沈むを
○王孔錫・王邦菴 どちらも福州の柔遠駅で琉球人と親しくしていた人物と思われるが、今のところ詳しい伝記は不詳。○梁得声 前出(五六ページ)の注参照。○舌短 言葉の不明瞭なことをいう。
同(其二) 同(其の二)
古驛踈林晩 古駅 踈林晩れ
霜深鳥倦啼 霜深くして 鳥啼に倦む
南天連野闊 南天 野に連なりて闊く
北斗落城低 北斗 城に落ちて低し
樓下三人榻 楼下 三人の榻
潮平半夜溪 潮平らかなり 半夜の渓
清鐘何處寺 清鐘 何れの処の寺ぞ
疑在白雲西 疑うらくは白雲の西に在るかと
雨夜留宿蔡禎菴山樓同竺鏡筠詩話
雨夜蔡禎菴の山楼に留宿し、竺鏡筠と同に詩を話る
頻年弾鋏負生平 頻年弾鋏して 生平に負き
榻下江樓百感并 榻を江楼に下して 百感を并ぶ
四壁嵐光沈劍氣 四壁の嵐光 剣気を沈め
一溪漁火濕潮聲 一渓の漁火 潮声を湿らす
鐘催宿鳥深林夢 鐘は催す 宿鳥深林の夢
草帶王孫舊日情 草は帯ぶ 王孫旧日の情
中夜與君談往時 中夜 君と往時を談じ
蕭蕭風雨暗孤檠 蕭蕭たる風雨 暗き孤檠
○蔡禎菴 福州の柔遠駅に滞在していた人物だが、伝記は未詳。○竺鏡筠 前出(五九ページ)の注参照。○頻年 毎年。連年。○弾鋏 刀剣のつかをたたく。斉の孟嘗君に仕えた馮驩が刀のつかをたたいて不満をもらし、待遇を良くしてもらった故事。貧しい者が俸祿や地位を求めるたとえ。○檠 ともしび。灯火。
秋夜望中樓懷梁得濟 秋夜中楼を望みて梁得済を懐う
重過山樓半榻懸 重ねて山楼を過ぎれば 半榻懸かる
誰知秋思落江邊 誰か知らん 秋思江辺に落つるを
蒹葭舊是懷人草 蒹葭 旧より是れ人を懐う草
楊柳誰能繋客船 楊柳 誰か能く客船を繋がん
異地雖同天際月 異地 天際の月を同じくすると雖も
愁心空遶海門烟 愁心空しく遶る海門の煙
無情最是衡陽雁 無情なるは 最も是れ衡陽の雁
不見音書又一年 音書を見ざること又一年
○梁得済 前出(五五ページ)の注参照。○衡陽雁 湖南省の衡陽県。「衡陽雁断」のこと。衡陽に回雁峰があり、雁がとんで来ても、この峰を越えることができないという。転じて、音信の絶えることをいう。
春日留飮周熙臣山樓 春日周熙臣の山楼に留飲す
山樓結搆(構カ)絶塵埃 山楼の結構 塵埃を絶つ
春到階前長緑苔 春階前に到れば 緑苔長ず
竹葉堆門縁客掃 竹葉門に堆り客に縁りて掃い
桃花滿樹待人開 桃花樹に満ちて人を待ちて開く
潮平遠浦漁郎渡 潮平らかなる遠浦 漁郎渡り
簾捲東風燕子來 簾を捲く東風 燕子来たる
不識濂溪携手後 識らず 濂渓手を携えし後
可能容我再啣杯 能く我を容して再び杯を啣む可きを
○周煕臣 周新命(康煕五年〔一六六六〕~康煕五十五年〔一七一六〕)・目取與親雲上、煕臣はその字。康煕二十七年読書習礼のため福州に赴き七年滞在。帰国後は、渡清の経験はなく、もっぱら講解師などとして、教育の分野で活躍している。程順則編『中山詩文集』に詩集「翠雲楼詩箋」が収録されている。
春杪瓊川阻雨因過蔡聲亭山樓茶話
春杪瓊川にて雨に阻まれ、因りて蔡声亭の山楼を過ぎて茶話す
芳草萋萋古驛門 芳草萋萋たり 古駅の門
連朝風雨客銷魂 連朝の風雨 客 銷魂す
一江烟遶遲歸掉(棹カ) 一江 煙遶りて 帰棹遅れ
萬樹雲深失遠村 万樹 雲深く 遠村を失す
最喜孤窓逢陸羽 最も喜ぶ 孤窓に陸羽に逢い
敢言十日在平原 敢えて言わんや 十日平原に在らんと
高吟不爲蕭條改 高吟して蕭條たるを改むるを為さず
好以新詩細共論 好しく新詩を以て細かに共に論ぜん
○陸羽 唐の人。茶道の開祖。ここでは、蔡声亭を陸羽になぞらえた。○蔡声亭 前出(五ハページ)の注参照。
秋江雨泛同雪堂諸子 秋、江雨ふり雪堂の諸子と同に泛かぶ
布帆遙挂荻蘆洲 布帆遥かに挂く 荻蘆の洲
草痩桐孤嘆倦遊 草痩桐孤 遊びに倦むを嘆く
山霧四園横小鳥(島カ) 山霧四園 小島を横たえ
溪雲千丈鎖輕舟 渓雲千丈 軽舟を鎖す
烟深石燕隨潮轉 煙深く石燕潮に随いて転じ
風急江豚趁水流 風急に江豚水流に趁う
惆悵五湖尋范蠡 惆悵たる五湖 范蠡を尋ね
不堪雨裏更逢秋 堪えず 雨裹更に秋に逢わんとは
○荻洲は、おぎのはえている洲。蘆洲は、あしのはえている洲。○江豚 海獣の名。鯨の一種、脂が多く灯油とする。○惆悵 うれえ悲しむ。○范蠡 春秋時代の越の功臣。越王勾践を助けて、呉王をうち会稽の恥をすすいだが、後官を辞して湖に泛かんで去った。
吾兄詩酒繼陶君爲中山程寵文賦
吾が兄の詩酒陶君を継ぐ、中山程寵文の為に賦す
情如潭水氣如雲 情は潭水の如く気は雲の如し
栗里編年更有君 栗里編年 更に君有らん
常借漢書供下酒 常に漢書を借りて下酒を供え
多因秦火細論文 多くは秦火に因り 細かに文を論ず
一樽留客逢秋早 一樽客を留め秋早に逢い
五斗勞人説夜分 五斗人を労し 夜分に説く
他日武陵溪上過 他日武陵 渓上を過ぎ
好看桃葉落繽紛 好みて看ん 桃葉落つること繽紛たるを
○程寵文 前出(五三ページ)の注参照。○陶君 酒が好きで詩文に巧みな陶淵明のこと。○栗里 陶淵明の故居のあったところ。当時の彭沢県、今の江西省星子県にある。ここに、人が臥した形の大きな石があり、酔った淵明がこの石の上で臥したと伝えられる。○下酒 下酒物のこと。酒のさかな。○秦火 秦の始皇帝が民間の書物を焼いたこと。○五斗 蕭統の「陶淵明伝」に「我豈能為五斗米折腰向郷里小児」とある故事による。○夜分 よなか。夜半。○武陵 陶淵明が理想郷を書いた「桃花源記」に登場してくる漁師の村。○繽紛 花などがさかんに散ること。
江樓雨夜集飮越日蔡文敏歸中山
江楼に雨夜集飲し、越日蔡文敏中山に帰る
江樓惜別雨蕭蕭 江楼に惜別すれば 雨蕭蕭たり
明日歸帆趁早潮 明日帰帆し 早潮を趁う
滿載琴書旋故國 琴書を満載して故国に旋るも
尚留魂夢寄中朝 尚留む 魂は夢に中朝に寄るを
離亭楊柳愁攀折 離亭の楊柳 愁いて攀じて折り
古驛芙蓉嘆寂寥 古駅の芙蓉 寂寥を嘆く
祇恐鷄鳴天欲曙 祇だ鶏の鳴きて天の曙ならんと欲するを恐れ
高燒銀燭話通宵 高く銀燭を焼きて話りて通宵す
○蔡文敏 蔡氏の人で、福州にいた人物だが未詳。
夏杪同諸子雪堂夜飮得秋字
夏杪諸子と同に雪堂に夜飲し秋の字を得たり
客裏忘爲客 客裹 客為るを忘れ
啣杯共倡酬 杯を啣みて共に倡酬す
鐘聲潮落夜 鐘声 潮落の夜
天氣晩來秋 天気 晩来の秋
香水歸蓮渚 香水 蓮渚に帰し
閒雲土石樓 閒雲 石楼に上る
祇愁更漏促 祇だ愁う 更に漏の促すを
秉燭好同遊 燭を秉る 好き同遊
○雪堂 程順則(寵文)の堂号。○香水 よいにおいのする泉。○閒雲 しずかな雲。世俗にわずらわされないこと。○漏促 時間を計る漏刻が時をせかせること。○秉燭 あかりをとること。
喜同王孔錫盧若采夜集程寵文雪堂話月分得七陽
王孔錫・盧若采と同に夜程寵文の雪堂に集い、月を話り分ちて七陽を得たるを喜ぶ
愛客樓前江水涼 愛客楼前 江水涼し
相逢不厭話清狂 相逢うて厭わず 清狂を話る
風聲人夜松疑雨 風声夜に入り 松 雨かと疑い
天氣將秋月似霜 天気将に秋ならんとして 月 霜に似たり
好友向來推二仲 好友向来 二仲を推す
新詩今復見三唐 新詩今復た三唐を見る
主人能繼河南後 主人能く継ぐ河南の後
琴史蕭蕭酒滿觴 琴史蕭蕭として 酒觴に満つ
○愛客 気にいった客。○清狂 世俗にとらわれず放逸な行いをするもの。○二仲 漢の隠士羊仲と求仲のこと。○三唐 文学史上、詩がもっとも栄えた唐を初唐・盛唐・晩唐の三つに区分すること。○河南 宋の尹洙のこと。河南の人で、博学で世に河南先生と称せられた。
和程寵文壺川尋牛田休隱居韻(其一)
程寵文の壺川に牛田休の隠居を尋ぬるの韻に和す(其の一)
欲隠壺川便乞休 壺川に隠れんと欲して 便ち休みを乞う
相親喜有水中鷗 相親しみて喜び有り 水中の鷗
門開古洞桃花在 門は古洞に開きて桃花在り
客到孤山鶴徑幽 客は孤山に到りて鶴径幽なり
緑野堂前樓鳳竹 緑野堂前 樓鳳の竹
青簑江上釣魚舟 青簑江上 釣魚の舟
挂冠當日歸來後 挂冠当日 帰り来たる後
萬磴松聲一夜秋 万燈松声 一夜の秋
○牛田休 程順則と関係のあった隠者だが、その人物については未詳。○挂冠 かんむりを脱いで柱などにかける意で、官職を辞すること。後漢の逢明が王莽に仕えることを好まず、かんむりを東都の城に掛け、他地にのがれた故事にもとづく。○万燈 長く続く石段。また、石の坂道のこと。
同(其二) 同(其の二)
誰能馬上告歸休 誰か能く馬上にて帰休を告げん
羨爾忘機狎野鷗 爾の忘機して野鷗に狎れるを羨む
兩鬢曾因王事白 両鬢曽て王事に因りて白し
數家倶傍丈人幽 数家倶に傍す 丈人の幽
門前初種陶潛柳 門前初めて種えたり 陶潜の柳
溪口時揺范蠡舟 渓口時に揺れる 范蠡の舟
結屋深林無暦日 屋を結ぶ深林 暦日無し
閒看花草記春秋 閒かに看る花草の春秋を記するを
○忘機 欲念をはなれて心がさっぱりする。機は心のはたらき。李白の〔下終南山過斛斯山人宿奧酒〕の詩に「我酔君亦楽、陶共忘機」とある。○丈人 老人。老人は杖を使うからいう。徳のある長老の尊称。○陶潜柳 陶潜は自宅の庭に五本の柳を植えて自ら「五柳先生」と称していた。○范蠡 前出(六一ページ)の注参照。
夜宴程氏雪堂 夜、程氏の雪堂に宴す
旅邸如年靜 旅邸 年の如く静かに
秋風一雪堂 秋風 一雪堂
星河高碧漢 星河 高き碧漢
楊柳帶青觴 楊柳 青觴を帯ぶ
座上氷壺潔 座上 氷壺潔く
城頭玉漏長 城頭 玉漏長し
葡萄香未散 葡萄 香未だ散ぜず
深喜飮西涼 深く喜びて西涼を飲む
○程氏雪堂 程順則の書斎の堂号。○氷壺 氷を入れた玉の壺。転じて、心の純白清潔なこと。○西涼 西域産の酒の意味にとる。「涼」に、すみざけ、うすざけの意味がある。また、みずを加えた酒。
冬杪讌集程寵文雪堂喜同方徳祖鳳泰良蔡紹齋夜話
冬杪程寵文の雪堂に讌集し、喜びて方徳祖・鳳泰良・蔡紹斎と同に夜話す
年年下榻古瓊河 年年下榻す 古の瓊河
此夜相逢喜更多 此の夜相逢うて喜び更に多し
肝膽故人重握手 肝胆の故人 重ねて手を握り
風流新貴共高歌〈紹齋奉使至閩予初謀面〉 風流の新貴 共に高歌す〈紹齋使を奉じて閩に至りて予初めて謀面す〉
草堂猶帶河南雪 草堂猶帯ぶ 河南の雪
狂士空餘下邳波 狂士空余す 下邳の波
豈有雄談驚四座 豈に雄談の四座を驚かすこと有らんや
感君青盻愧如何 君が青盻に感じて 愧を如何せん
○方徳祖・鳳泰良 両者とも福州の人と思われるが未詳。○蔡紹斎 琉球の人物と思われるが未詳。○下榻 賓客を迎え留めるたとえ。後漢の陳蕃が、群内の高士周摎のために特に一つの腰掛けを用意した故事にもとづく。○瓊河 前出(五六ページ)の注参照。○下部 今の江蘇省の省邳県にあり、漢の張良が黄石公に会ったところ。○青盻 「盻」は見る、にらむ意。「青眼」と同じ意にとる。親しい人に対する目つき。愛する目つき。
元夕宴集程寵文立雪堂分得歡字
元夕、程寵文の立雪堂に宴集し、分けて歓の字を得たり
火樹因人暖 火樹 人の暖かさに因り
春星帶雪寒 春星 雪の寒さを帯ぶ
霞杯傾琥珀 霞杯 琥珀を傾け
氷簟繍琅玕 氷簟 琅玕を繍とる
賓主東南美 賓主 東南の美
江天上下看 江天 上下を看る
良宵頻度曲 良宵 頻りに度る曲
何處不稱歡 何れの処か 歓に称わざらん
○立雪堂 程順則(寵文)の書斎の堂号、たんに「雪堂」ともいう。○火樹 灯火の光の盛んなこと。『故事成語考』に「火樹銀花合、指元宵灯火之輝煌」とある。○氷簟 清らかな臥牀。○琅玕 玉に似た美しい石。美しい文章のたとえ。
元夕同程寵文盧若采留飮蔡紹齋江樓
元夕、程寵文・盧若采と同に蔡紹斎の江楼に留飲す
春寒入夜擁重裘 春寒夜に入り 重裘を擁す
野外霜威折酒籌 野外霜威く 酒籌を折る
一帶江村連遠岫 一帯の江村 遠岫に連なり
萬家燈火映層樓 万家の灯火 層楼に映ず
開箋如對中郎絹 箋を開けば中郎の絹に対するが如く
倚檻疑登范蠡舟 檻に倚れば范蠡の舟に登れるかと疑う
安得樽前紅雪在 安んぞ樽前に紅雪の在るを得て
玉簫金管按梁州 玉簫金管 梁州を按でんや
○盧若采 福州琉球館に出入りしていた福州の人物だと思われるが未詳。○重裘 冬に着るかわごろもを重ねる。○酒籌 酒を飲んださかずきの数をかぞえる数とり。○遠岫 遠くの嶺。○中郎絹 中郎は官名。役人が書き物に用いる立派な絹の意にとる。○范蠡 前出(六一ページ)の注参照。○紅雪 桃の花の形容。○梁州 梁州曲のこと。楽曲の名。もと涼州につくる。
題程寵文立雪堂(其一) 程寵文の立雪堂に題す(其の一)
海東道統接南來 海東道統 南来を接す
羨爾家聲雪裏開 爾の家声雪裏開くを羨む
旅邸有人披氅至 旅邸人有り 氅を披きて至る
深深三尺擁江隈 深深たる三尺 江隈に擁す
◯氅 旗につけるかざりの毛。また、それをつけた旗。
同(其二) 同(其の二)
瓊川樓閣月如霜 瓊川の楼閣 月 霜の如し
疑是河南舊講堂 疑うらくは是れ河南の旧講堂かと
一片青氈君故物 一片の青氈 君の故物なり
梅花猶傍雪門香 梅花 猶お雪門の傍らに香るがごとし
○青氈 あおい色の毛でおった敷物。○君故物 程順則が使っていたもとの物。○雪門 立雪堂の門。
弔山花〈有引〉 山花を弔う〈引有り〉
余下榻程子雪堂其蒼頭從石鼓回折山花數朶挿膽瓶作清供余見其艶麗奪目嫣然可愛不減一捻紅惜當年不生於沈香亭畔百寳闌中以致名未登花譜徒與腐草零落於荒烟野露間與僕輩窮愁潦倒無異客窓對此不覺相視而泣矣因澆幾點墨汁呼花神而弔之
余程子の雪堂に下榻するに、其の蒼頭石鼓従り回るに山花数朶を折りて胆瓶に挿し清供と作す。余其の艶麗なるを見て目を奪わる。嫣然として愛す可きこと一捻紅に減ぜず。惜しむらくは当年沈香亭畔に生ぜざれば、百宝闌中以て名を致し、未だ花譜に登らず。徒らに腐草と荒煙野露の間に零落し、僕輩の窮愁潦倒すると異なること無し。客窓において此に対し、覚えず相視て泣けり。因りて幾点の墨汁を澆ぎ花神を呼びて之を弔う。
數枝高挿膽瓶看 数枝高く挿せる胆瓶を看るに
彷彿西京舊牡丹 彷彿たり 西京の旧牡丹
上苑幾時花落後 上苑 幾時ぞ 花落ちて後
斜陽無主鳥啣殘 斜陽 主無く 鳥も啣み残せり
班妃紈扇秋風老 班妃の紈扇 秋風に老い
蘇小香車夜月寒 蘇小の香車 夜月寒し
薄命紅顔同蔓草 薄命の紅顔 蔓草に同じ
誰憐空谷有芳蘭 誰か憐まん 空谷芳蘭有るを
○蒼頭 しもべ。めしつかい。○石鼓 鼓山のこと。○胆瓶 瓶の一種。長頸大腹で、胆を懸けた形をしたもの。○一捻紅 「楊家紅」ともいう。楊貴妃の口紅によって出来たという牡丹。○沈香亭 唐代、禁中にあった亭名。玄宗と楊貴妃とが木芍薬を賞して、李白を召して詩を作らせた。○潦倒 老衰したさま。おちぶれたさま。杜甫の〔登高〕の詩に「潦倒新停濁酒杯」とある。○西京旧牡丹 唐の都長安の牡丹。「引」にある一捻紅のこと。○班妃 漢の成帝の宮女班婕妤のこと。女流詩人。○蘇小 銭塘の名妓の名。○紈扇 白い練り絹のうちわ。江淹の詩に「紈扇如団月」とある。
送程寵文歸中山(其一) 程寵文の中山に帰るを送る(其の一)
迢迢驛路草含烟 迢迢たる駅路 草煙を含む
一曲驪歌唱可憐 一曲驪歌 唱すれば憐れむ可し
行仗虚懸雲霧裏 行住 虚しく懸く 雲霧の裏
使星高出斗牛邊 使星 高く出ず 斗牛の辺
門開五虎如飛掉(棹カ) 門 五虎を開けば 棹は飛ぶが如く
劍化雙龍欲上天 剣 双竜と化して 天に上らんと欲す
執手豈同兄女別 手を執るといえども豈に児女の別れと同じからんや
莫言無涙落君前 言う莫れ 涙 君が前に落とす無しと
○迢迢 遠いさま。はるかなさま。○驪歌 送別のうた。○行仗 旅にでる意にとる。○使星 使者の称。餞起の〔送岑判官入嶺〕の詩に「極目煙霞外、孤舟一使星」とある。○斗牛 北斗七星と牽牛のこと。
同(其二) 同(其の二)
江樓夜夜共論文 江楼 夜夜 共に文を論ず
何以逢君又別君 何を以てか君に逢い又君と別れん
海外名山傳馬齒 海外の名山 馬歯を伝え
閩中孤劍老龍紋 閩中の孤剣 竜紋老ゆ
汪倫情似桃花水 汪倫 情似たり 桃花の水
李白愁看日暮雲 李白 愁いて看る 日暮の雲
從此陽關三唱後 此れより陽関三唱の後
天風亂剪鶴無群 天風乱れ剪り 鶴の群無からん
○馬齒 ここでは、琉球にある慶良間列島の意。○汪倫 李白の酒友。李白の〔贈汪倫〕詩に「桃花潭水深千尺 不及汪倫送我情」とある。○日暮雲 杜甫の〔春日憶李白〕詩に「渭北春天樹 江東日暮雲 何時一樽酒 重与論細文」とある。首聯の「共論文」もこれを踏まえたもの。○陽関三唱 「陽関曲」の第四句を三回反復して歌う。「陽関曲」とは、唐の王維の〔送元二使安西〕詩の結句に「西出陽関無故人」とあるので言う。
同(其三) 同(其の三)
去年一榻下江城 去年一榻 江城に下し
此日離亭送汝行 此の日離亭す汝の行を送る
今古魂銷唯有別 今古魂銷するは唯だ別有るのみ
西南風好浪無聲 西南風好しく 浪は声無し
海邦歸去祇看日 海邦帰り去れば祇だ日を看ん
水驛由來不計程 水駅由来 程を計らず
所信君恩與臣節 信ずる所は 君恩と臣節なり
能令萬里片帆輕 能く万里をして片帆軽くならしめよ
○江城 川のほとりにある町。ここでは福州をさす。
同(其四) 同(其の四)
杳渺滄溟一望賖 杳渺たる滄溟 一望賖く
東歸全仗指南車 東帰 全て仗む 指南車
樽前難盡兩人話 樽前尽くし難し 両人の話
天上虚浮五月槎 天上虚しく浮く 五月の槎
澤國榴開紅似錦 沢国 榴開き 紅きこと錦に似て
海門浪靜白如沙 海門 浪静かにして 白きこと沙の如し
當年風送滕王閣 当年の風送る滕王閣
咫尺知君已到家 咫尺 君已に家に到れるを知る
○賖 とおい。遠く離れたさま。○指南車 中国古代の羅針盤。車の上に仙人の像を置きその手が常に南を指すようにつくったもの。○滕王閣 唐の滕王元嬰が洪州の都督の時に建てた。王勃に序と詩、王緒に賦、王仲舒に記がある。○咫尺 非常に近い距離。ここでは、航海が安全で、あっという間に海を越えて琉球の家に着くこと。
同(其五) 同(其の五)
無數南船下急湍 無数の南船 急湍を下る
好乗溪漲出閩安 好しく渓の漲れるに乗じて 閩安を出ず
飛帆斜捲千尋浪 飛帆斜めに捲く 千尋の浪
微雨陰添五月寒 微雨陰りを添う 五月の寒
島嶼蒼茫天際落 島嶼蒼茫として天際に落ち
魚龍出没水中看 魚竜出没して水中に看ゆ
我曾投筆過滄海 我曽て筆を投じて滄海を過ぎ
始識乾坤有大觀 始めて識りぬ 乾坤に大観有るを
○南船 南方の船。また、南方に行く船。○急湍 水がはげしくながれる。早瀬。○乾坤 天と地。大自然。○大観 りっぱなながめ。雄大なながめ。
同(其六) 同(其の六)
十載風霜獨爾知 十載風霜 独り爾を知り
河梁分手使人悲 河梁に分手し 人をして悲しましむ
郷關寂寞多魂夢 郷関寂寞として 魂夢多く
天地凄涼有別離 天地凄涼として 別離有り
樓上月明談劍夜 楼上月明 剣を談ずる夜
海東日出到家時 海東日出でん 家に到る時
隴頭驛使如相問 隴頭の駅使 如し相問わば
好折梅花寄一枝 好しく梅花を折りて 一枝を寄せん
○風霜 年年の変遷のこと。○河梁 川に架けた橋。「河梁之別」は、人を送って橋の上で別れること。漢の蘇武が匈奴を去るとき、親友の李陵が作ったといわれる詩に「携手上河梁」とある。○分手 離別。人と人が別れること。○魂夢 夢魂と同じ。夢の中にあるたましい。○隴頭 「隴頭音信」のこと。梅花を添えた書信をいう。呉の陸凱、范曄と相善く、江南太守であった時、梅花一枝と詩一首を隴頭の范嘩に寄せた故事にもとづく。陸凱の〔寄范曄〕詩に「折梅逢駅使、寄与隴頭人、江南無所有、聊附一枝春」とある。○駅使 役所の文書を伝達するひと。
同(其七) 同(其の七)
奉使曾推洛下豪 使を奉じて曽て推す 洛下の豪
兩年相封讀離騒 両年相対して 離騒を読む
情如潭水深千尺 情は潭水の如く 深さ千尺
髪散江關感二毛 髪を江関に散じ 二毛に感ず
絶島烟消星漢近 絶島 煙に消えて星漢に近く
好風帆挂海天高 好風に帆を挂ければ海天高し
他時憶汝連床話 他時 汝と床を連ねて話りしを憶う
爲檢箱中舊綈袍〈程子於予有解衣之雅〉 為に検す 箱中の旧綈袍〈程子予に解衣の雅有り〉
○離騒 「楚辞」の編名。戦国時代楚の国の屈原の作。王から信頼されない憂いを述べたもの。○二毛 白髪まじりの老人。○綈袍 あつぎぬの綿入れ着物。どてらの類。「綈袍恋恋」は、旧恩を思うこと。友情の厚いたとえ。○解衣 「解衣推食」のこと。己の着物をぬいで人に着せ、食をすすめる。転じて、恩を施す意。また、人を大切にする。
同(其八) 同(其の八)
牙籤猶挿講堂東 牙籤 猶お挿す 講堂の東
剪燭談經夜未終 燭を剪りて経を談じ 夜未だ終わらず
吾道尚留三尺雪 吾道尚留む 三尺の雪
仙舟旋挂一帆風 仙舟旋桂す 一帆の風
漢邊萬里歸張翰 漢辺万里 張翰帰り
帳裏頻年愧馬融 帳裹頻年 馬融に愧ず
日暖好看蜃吐氣 日暖かに好しく看る 蜃 気を吐き
空中樓閣跨長虹 空中楼閣 長虹の跨ぐを
○牙籖 象牙で作った書籍の標題の札。分類の見分けに用いる。韓愈の〔送諸葛覚往随州読書〕詩に「鄴侯家多書、挿架三万軸、一一懸牙籤、新若手未触」とある。○張翰 晋の呉郡の人。文を能くし、江東の歩兵といわれた。秋風にあって故郷呉の菰菜・専羹・鱸魚鱠を思い、官をやめて呉に帰った。○馬融 後漢の人。桓帝の時南郡太守となった。広く経学に通じ、鄭玄・盧植をはじめ千人以上の弟子を養成した。
同(其九) 同箕の九)
枕山詩草委沙泥 枕山詩草 沙泥に委す
獨檢焚餘授棗梨〈程子捐貲爲余刻詩〉 独 焚余を検し 棗梨に授く〈程子捐貲し余が爲に詩を刻す〉
喜有蛩吟傳異日 喜ぶは蛩吟の異日に伝わる有り
愁將驪唱補新題 愁いて驪唱を将て新題を補う
王通事業存房杜 王通の事業 房杜存し
晉室風流寄阮稽 晋室の風流 阮稽に寄す
歸去東溟詞賦重 東溟に帰り去りても 詞賦を重ねん
雪堂今好繼瀼西 雪堂今好く瀼西を継ぐ
○沙泥 すなとどろ。○棗梨 出版すること。むかし書物を刻する版木になつめや椰子の木を使ったのでいう。○蛩吟 こおろぎの鳴くこえ。自作を謙遜して言ったものと解する。○王通 隋の学者で、竜門の人。門人が文中子と諡した。房玄齢らに道を授けた。○房杜 唐の大宗の名臣、房玄齢と杜如晦のこと。○晋室風流寄阮稽 魏晋南北朝の晋王室は、江南に都をおいたため、自然の美しさを文章や詩にした詩人が輩出した。阮は阮籍のこと、稽は稽康のことで、いずれも竹林の七賢にかぞえられている。○瀼西 四川省奉節県にある。杜甫が住んでいた所で、明の万暦年間、ここに草閣を建てた。程順則の詩文の才能を偉大な杜甫になぞらえて讃えている。
同(其十) 同(其の十)
衆流歸海望無邊 衆流海に帰し 望めば無辺なり
送爾登舟意惝然 爾の登舟するを送れば 意惝然たり
黯淡一時帆上雨 黯淡たる一時 帆上の雨
光芒萬丈水中天 光芒万丈 水中の天
樓船金鼓臨風振 楼船金鼓 風に臨みて振え
雲漢旌旗借日懸 雲漢旌旗 日を借りて懸く
獻雉簡書頻入覲 献雉簡書 頻りに入覲し
重來知是舊張騫 重ねて来たるは知る是れ旧張騫
○黯淡一時帆上雨 「黯淡」はうすぐらい意。「帆上の雨」は船の帆に降りそそぐ雨の意。一句の意味は、程順則一行の船が出航した後、一時的にくもっていた空が、前途の安全を祈念するかのように晴れてきた。○光芒 ひかりの放射。○楼船 やぐらのある船。水上戦に使う船だが、琉球の進貢船は兵器を備えていたので、ここでは、進貢船の意。○獻雉簡書 貢物を献上し、文書を上呈して、臣下としての礼儀をつくすこと。○入覲 参内して天子にお目通りする。○張騫 前出(五五ページ)の注参照。
ー『枕山楼詩集』を中心にしてー
上里賢一
はじめに
陳元輔(字昌其)は、福建省・福州の人で、その書斎の堂号を枕山楼といった。『枕山楼詩集』の林譚の序文に「自余庚戌、得交昌其、時方束髪」とあり、庚戌(一六七〇年・康熙九)に「束髪」(十五歳)だとすると、一六五六年(順治十三)生まれとなる。程順則(名護親方寵文)は、一六六三年(康熙二)に生まれているから、程順則よりも数えで八歳年長である。程 順則の編纂した『中山詩文集』所収「雪堂贈言」には「候補県丞」とあるので、役人としては地方官吏でおわった人物である。没年は未詳。
程順則は、一六八三年(康煕二十二)二十一歳の時、勤学(福州で勉学する留学生)となって福州に赴き、八七年(康煕二十六) 五月まで滞在し、二年後に再度渡閩して九一年(康熙三十)まで滞在している。この二十一歳から二十九歳までの 、二年の時をはさんで福州の陳元輔・竺天植(字鏡筠) の門下で学んだ。この間、福州の役人や詩人たちと交流を重ねているが、そのなかでも、陳元輔との交流は師弟愛と人間愛に満ちたものとして際立っている。
たとえば、陳元輔は程順則の母親を讃える「程太母恭人伝」をはじめ、一七〇二年(康熙四十一)に十四歳で夭逝した次男程摶万の作品集「焚余稿」の序文、「雪堂燕遊草」序文、『指南広義』序文など、程順則の著作のほか、「雪堂紀栄詩」序文、「雪堂贈言」など程氏を讃える文章を書いている。一方、程順則は陳元輔の「枕山楼詩集』『枕山楼文集』、『枕山楼拾玉詩話』(『枕山楼課児詩話』)などを、自費を投じて出版している。両者の交流がいかに親密なものであったかがわかるだろう。
『枕山楼詩集』『枕山楼文集』を見ると、陳元輔は福州の柔遠駅(琉球館)を舞台にして、程順則をはじめ多くの琉球人との交流があったことがわかる。また、『中山詩文集』に収められている「中山自了伝」、曾益の「執圭堂詩草」序文、蔡鐸の「観光堂遊草」序文なども、琉球人との日常的な行き来のなかから生まれたものであることは想像に難くない。陳元輔の著作には、琉球と清国の官吏や詩人たちが、両国の友好的な外交関係に支えられて、きわめて深い人間的な信頼関係を築いていたことが表れている。
冊封使とその従者の著作を除けば、清国においてこれほど多彩な琉球関係記録を残した人物は稀である。しかも、冊封使とその従者らの記録は、どうしても公的な色あいが濃くなることを避け難いが、陳元輔の文章や詩には、作者自身の心情はもちろん、海を越えてやってきた琉球人の夢や気概、挫折の悲哀や郷愁など、人生の諸相も反映されており、冊封使録などとは違った魅力を持っている。その一端を紹介する所以である。
凡例
一、ここで紹介する『枕山楼詩集』は、程順則(名護親方寵文)が、その師である陳元輔(字昌其)の詩集を自費で出版したものである。同じ体裁の『枕山楼文集』と一対を成しているが、もともと一つの帙に入っていたものか、別々になっていたものか、今後の調査にまちたい。
一、使用したテキストは、昌平坂学問所、文化甲子(文化元年・一八〇四年)の印のある国立公文書館所蔵のものである。
一、テキストには、所蔵者の手によると思われる旬読点、圏点、注記がある他、二つの序文には訓点も付いている。
一、ここに紹介する作品は、作者の陳元輔と琉球の詩人との関係が直接詠まれていると思われる作品に限定し、目次の詩題の上に◯印を付してある。
一、作品の原文には、できるだけテキストの本文で使用されている文字を使うことにしたが、わかりやすくするために、俗字、異体字、別体、古字、本字などは通行体に改めた。また、読み下しでは旧字体はできるだけ新字体に、仮名遣いも新仮名遣いに改めた。
一、テキストの中で明らかに誤字と思われるものは、その正字を右傍に(――カ) と記した。
『枕山樓詩集』目次
序 鄭宗主
〇 序 林潭
寶劍行
登鼓山屴崱峰
釣龍䑓懷古
九日登凌霄臺
病馬(九首)
鶯
燕
猿
寄潘暉明
遊白雲寺
無題(三首)
南昌寄家書
豫章送顔儀懷之陳總戎署中
懷張士升
懷林子秀
題王氏草堂
過芝山別徑訪慧源上人
暁雨渡新道
尋梅塢故址
竹醉日同元聲叔訪林二恥於晩香園
楓葉
病宿義溪
軍中雜詩(四首)
有感
莫(暮カ)春李乾生招飮越日乾生有建州之行
送金西玉參軍涵江
送高子厚明府移居桂湖
丹陽曉行
寧陽署中感事
安仁溪曉發
烏石清泉亭
郢中寄懷林二恥
仙棗亭觀呂祖睡像
滴露菴訪璽直大師
贈沔水別駕陸士佩
陸士佩署中觀劇
題酒家姫扇頭并引
景陵謁鍾伯敬譚友夏兩先生祠
玉山明府鄒弘景先生招飮怡閣
壽鄒弘景先生
鄒西豊招飮
鄒對臣招飮
雪夜讀杜詩
楚中卽事(五首)
楚江春思(五首)
乾灘留別璽直上人還閩
送林子秀之建州
安兵部得男索詩
◯送魏牧公入貢
◯送曾虞臣入貢
◯贈梁得濟
◯曾子浴歸自長溪與予同過瓊河古驛訪梁得聲夜話并索其新詩讀之
◯上巳仝梁本寧得聲得濟陳魯水金浩然遊烏石山觀朱夫子石室清隱 石刻
◯題鄭克叙小影(二首)
◯秋夜望中樓懷梁本寧
◯秋夜望中樓懷梁得濟
◯送蔡聲亭入貢
◯十二夜蔡文敏竹樓坐月遅竺鏡筠不至
◯冬夜同王孔錫王邦菴集梁得聲山樓夜話分得溪字(二首)
◯雨夜留宿蔡禎菴山樓同竺鏡筠詩話
送林介人之景陵署中省親
懷曾子浴參軍長溪
題畫
喜叔志三入泮
◯秋夜望中樓懷梁得濟
◯春日留飮周熙臣山樓
◯春杪瓊川阻雨因過蔡聲亭山樓茶話
望中樓餞春(二首)
家逸甫移居城東
題畫
送林介人重遊竟陵
十六夜南樓醉月
秋日郊行
秋夜尋僧不遇
◯秋江雨泛同雪堂諸子
烏石山尋蟠桃塢石刻
◯吾兄詩酒繼陶君爲中山程寵文賦
◯江樓雨夜集飮越日蔡文敏歸中山
◯夏杪同諸子雪堂夜飮得秋字
◯喜同王孔錫盧若采夜集程寵文雪堂話月分得七陽
秋日驛樓寄懷成均諸子
懷盧若采
送僧重登方丈
過仙塔
驛樓題壁
過花封舊宅
◯和程寵文壺川尋牛田休隱居韻(二首)
寄懷戴冕卿參軍䑓灣(二首)
立秋
瓊川南樓夜坐有懷林二恥歸隱峡江曾子浴參軍長溪
題瓊川南樓
鳳坂訪高以嘉不遇
道山尋孫子長先生讀書處
南樓晩眺
秋日同竺鏡筠郊行自新橋至鳳坂留飮高以純山堂
瓊川九日
◯夜宴程氏雪堂晩秋(二首)
晩秋
登釣龍䑓觀陸帥守全閩第一江山石刻
過鳳坂留飮高以嘉山齋
留別潜園主人
惟宗遊鶴巣作次韵却寄
鼇峰雜感(十首)
秋懷(十首)
林二恥避亂入城過枕山樓話舊(二首)
李乾生過訪
訂九日同林二恥登石鼓不果
峡江夜泊
◯冬杪讌集程寵文雪堂喜同方徳祖鳳泰良蔡紹齋夜話
◯元夕宴集程寵文立雪堂分得歡字
秋日江樓遠眺
◯元夕同程寵文盧若采留飮蔡紹齋江樓
◯題程寵文立雪堂(二首)
春夜留飮温森山江樓看月
金錦江席上喜談杜詩
秋夜枕山樓懷林二恥
湧泉亭曉望
家逸父移居芝山
弔山花〈有引〉
〇送程寵文歸中山(十首)
序(林譚)
程子寵文從余友昌其游、相得甚懽。一日袖昌其詩、問序於余曰、此師半生心血也、茲欲壽之梨棗。先生固知師之深者、願乞一言、弁其首。余愧不知詩、然知昌其獨深、又何可以無言。蓋昌其詩凡三變矣。自余庚戌、得交昌其、時方束髪、愼交遊、愛顰笑、嘯讀一室、風雨寒暑弗輟、余間披其帷、相與較論售世事業。覘其胸中眼中、若在峨嵋天半矣。而月夕花辰、時借吟詠、寄興清新雋永、恍如月立空山、水流殘夜、無一點塵埃氣、此昌其少年時詩也。然而非其好也。以後南轅北轍、不相聚首、甲寅乙卯、予學第一山下、與昌其居益近交益密、攻苦磨礪益力、彼此隱衷益可相告語。廼此日之昌其大非昔日之昌其矣。有時見其携琴抱史、坐梧桐樹下矣。有時見其觸緒興懷、翰墨淋漓、滿人間矣。有時見其渉江陟嶺、作平原十日歡矣。有時見其焚書碎硯、慟哭青山矣。有時見其痛飮讀楚辭、不則按劍咏盧照鄰悲道窮詞、江淹恨賦、或徐文長疲驢破帽詩矣。孤懷幽緒不一、悉於詩而發之、故昌其癸丑以後詩、多感愴牢騒、猶之少陵在曲江虁府諸作、一字一涙者。無非以遇與心違、懷才莫展耳。丙辰深秋、余扁舟南還、旅食五山、不才多病、與昌其又成風馬牛、迄今十有餘載。而昌其或磨盾草檄、浪賦從戎、或匹馬孤舟、遠尋知巳(己力)、閲歴久而識膽深。識膽深而性情摯向之怫悒無聊、忽啼忽笑者、今皆韜鋒歛頴、坐春風中、讀其近作、顥顥噩噩。欝而善愁、婉而多風。吾不意昌其寸管片腸變至此也。世有如此之詩、蔵之名山、以待傳人可也。即懸之國門、與衆共讀、亦無不可也。此寵文所以捐貲授梓、欲爲其師傳不朽也。夫年家同學弟林潭拜題於峭門之石樓。
序(林譚)
程子寵文、余が友昌其に従いて遊び、相得て甚だ懽ぶ。一日昌其が詩を袖にして、序を余に問いて曰く、此れ師が半生の心血なり、茲に之を梨棗に寿せんと欲す。先生は固より師を知ることの深き者なれば、一言を乞いて、其の首に弁ぜんことを願うと。余詩を知らざるを愧ず、然れども昌其を知ること独り深ければ、又何ぞ以て言無かる可し。
蓋し昌其が詩、凡そ三変せり。余庚戌より、昌其と交わるを得たり、時に方に束髪たりしも、交遊を慎み、顰笑を愛しみ、一室に嘯読し、風雨寒暑にも輟めず。余間ま其の帷を披き、相与に售世の事業を較論す。其の胸中眼中を覘うに、峨嵋の天半に在るが若し。而も月夕花辰、時に吟詠を借りて、興を清新雋永に寄せ、恍として月の空山に立ち、水の残夜に流れ、一点の塵埃の気無きが如し、此れ昌其の少年の時の詩なり。然れども其れを好しとせざるなり。
以後南轅北轍して、相聚首せず。甲寅乙卯、予第一山の下に学び、昌其の居と益ます近くなれば、交わり益ます密に、攻苦磨礪して益ます力め、彼此の隠衷を益ます相告げ語る可し。廼ち此の日の昌其は大いに昔日の昌其にあらず。時には其れ琴を携え史を抱きて、梧桐の樹下に坐するを見ること有り。時には其れ緒に触れて懐を興し、翰墨淋漓として、人間に満つるを見ること有り。時には其れ江を渉り嶺に陟り、平原十日の歓を作すを見ること有り。時には其れ書を焚き硯を砕きて、青山に慟哭するを見ること有り。時には其れ痛飲して楚辞を読み、則だ剣を按でて盧照鄰の悲道窮詞、江淹の恨賦のみならず、或いは徐文長の疲驢破帽の詩を咏ずるを見ること有り。孤懐幽緒一ならず、悉く詩に於いて之を発す、故に昌其の癸丑以後の詩、多く感愴牢騒にして、猶お之少陵の曲江虁府に在りし諸作の、一字一涙する者のごとし。以て遇せらるること心と違い、才を懐くも展ぶること莫からざる無きのみ。
丙辰の深秋、余扁舟して南に還り、五山に旅食し、不才多病にして、昌其と又風馬牛と成り、今に迄ること十有余載なり。しかるに昌其或いは磨盾草檄し、賦を浪し戎に従い、或いは匹馬孤舟して、遠く知己を尋ね、閲歴すること久しうして識胆深し。識胆深くして性情向くところの怫悒無聯を摯り、忽ち啼き忽ち笑う者も、今皆鋒を韜し頴を歛す。春風の中に坐して、其の近作を読むに、顥顥噩噩たり。欝として善く愁い、婉として多く風あり。吾意わざりき昌其が寸管片腸の変じて此に至らんとは。世に此の如き詩有れば、之を名山に蔵して、以て伝うる人を待つも可なり。即ち之を国門に懸けて、衆と共に読むも、亦可ならざる無し。此れ寵文が貲を捐して梓を授け、其の師を不朽に伝うるを為さんと欲する所以なり。夫れ年家同学の弟林潭拝して峭門の石楼に題す。
◯程子寵文 程順則(康熙二年〔一六六三〕〜雍正十二年〔一七三四〕)・名護親方寵文のこと。寵文は程順則の号。書斎の堂号を「雪堂」「立雪堂」という。◯昌其 陳元輔(順治十二年〔一六五五〕〜?)の号。陳元輔は、程順則の福州留学時の師匠。◯相得 互いに気が合う。◯寿 鐫刻して長く残す。◯梨棗 版木。むかし、版木の材料として賞用された。◯庚戌 一六七〇年(康熙九年)。〇束髪 男子がはじめて髪を結ぶこと。成童(十五歳)のことをいう。◯清新雋永 清新ですぐれて永遠なるもの。◯南轅北轍 南に行こうとしてかえって北に向かう。行動が目的と反対になること。◯隠衷 人に言えない苦衷。◯盧照鄰の悲道窮詞 盧照鄰は初唐の四傑のひとり。その詩は「幽玄清藻にして悲楚愁傷の韻多し」と言われる。なお原文では「照」を「炤」とするが「照」に通ずるので改めた。◯江淹の恨賦 江淹は六朝梁の時代の文章家。恨賦は、江淹の作った賦で『文選』に収録されている。恨みをのんで死ぬものの情を述べたもの。◯徐文長 明の徐渭(字は文長)。その詩は李白・李賀の間にあって、その文は蘇軾に学んで師よりも良いといわれる。◯癸丑 一六七三年(康熙十二年)のこと。陳元輔は十九歳頃となる。◯感愴牢騒 思うままにならないのを悲しむこと。◯少陵の曲江虁府諸作 少陵は杜甫のこと。曲江は長安と洛陽の間の黄河。杜甫が科挙に応ずるため長安に出てきたのは三十六歳の時だが、李林甫によって落とされて仕官の道を閉ざされ、苦労が始まる。四十四歳の時(七五五年)安禄山の反乱にあい、家族が離ればなれになるなど苦労が絶えず、杜甫の詩はいよいよ憂愁の色を深める。虁府は虁州のこと。杜甫の人生を憂えた諸作を指す。○丙辰深秋 一六七六年(康煕十五年)の晩秋。陳元輔は二十二歳。○風馬牛 まったく無関係なこと。陸游の詩に「愁与酒如風馬牛」とある。○磨盾 磨盾之暇。盾をみがく余暇の意。戦場における余暇。○怫悒無聊 気がふさぎ、心に心配ごとがあって楽しまない。○韜鋒歛頴 つるぎぶくろと筆さきをおさめる。すぐれた才能を隠すこと。○年家同学 年家は、科挙の試験に同年に合格した者が互いによびあう称。同学は、同じ先生や、同じ塾や学校で学ぶ、また、その友。
送魏牧公入貢 魏牧公の入貢するを送る
簡書初捧謁天衢 簡書初めて捧げて 天衢に謁す
喜有氷心映玉壺 喜びて氷心の玉壺に映ずる有り
夜月機絲逢織女 夜月機糸 織女に逢い
春風仙酒醉麻姑〈中山有麻姑山〉 春風仙酒 麻姑に酔う〈中山に麻姑山有り〉
京華國子新藜火〈時送官生入成均〉 京華の国子 藜火を新にし〈時に官生を送りて成均に入る〉
滄海勞臣舊虎符 滄海の労臣 旧き虎符
此去金臺瞻日近 此れ金台に去きて日を近くに瞻ん
燕山原是帝王都 燕山原より是れ帝王の都
○魏牧公 魏応伯(後に向姓に改む、順治七年〔一六五〇〕~康煕三十七年〔一六九八〕)・越来親方朝誠のこと。康煕二十五年(一六八六年)の進貢耳目官。○簡書 命令などの書きつけ。ここでは琉球国王の命令書。○天衢 衢は道のこと、天子のいます所に通ずる道。○氷心映玉壺 氷のように清く澄んだ心が玉の壺にあること。王昌齢の〔芙蓉楼送辛漸〕の詩に「一片氷心在玉壺」とある。○麻姑 仙女の名。美貌で手のつめが長く鳥に似ていたという。詩の原注にある「麻姑山」は、宮古島のこと。○藜火 あかりのこと。あかざの茎は杖となり、また、もやして灯火とする。○虎府 戦国時代の虎形の銅印、割符のように二つにわって使用した。○金台 金のうてな。○原注にある「官生」は、琉球王国時代に、明代は南京の、清代は北京の国子監に派遣された留学生のこと。「成均」は、太古の学校のことで、ここでは北京の国子監を指す。
送曾虞臣入貢 曽虞臣の入貢するを送る
曾聞三十六灣前〈中山屬島三十有六〉 曽て聞く三十六湾の前〈中山の属島は三十有六なり〉
一葉仙槎泛海天 一葉仙槎 海天に泛かぶ
帳裏授經傳禹貢 帳裏経を授け 禹貢を伝え
漢邊奉使繼張騫 漢辺に奉使して 張騫を継ぐ
金爐袖惹螭頭火 金炉袖を惹く 螭頭の火
錦纜風揺雉尾船 錦纜風に揺らぐ 雉尾の船
寄語橋門新子弟〈時送官生入成均〉 語を寄す橋門の新子弟〈時に官生を送りて成均に入る〉
逢人好説大夫賢 大に逢わば好みて説う 大夫の賢と
○曾虞臣 曽益(のち虁、順治二年〔一六四五〕~康煕四十四年〔一七〇五〕)・砂辺親方、虞臣はその号。朝京都通事、正議大夫などとして前後四回渡清しているが、これは、耳目官の魏応伯に従って、正議大夫として進貢した康煕二十五年のことと思われる。○禹貢 五経の一つである「書経」の編名。禹が定めた九州の土地の地理・産物・みつぎものについて記録している。○張騫 漢の時代の人。漢の武帝の時、中央アジアの大月氏に行き、十数年にわたる大旅行をして西域に関する知識をもたらし、東西交通をひらくきっかけをつくった。○螭頭 みずちの頭の形を彫刻した飾りで、碑・柱・印章などの上部についている。○雉尾船 「雉尾扇」を立てた船のこと。「雉尾扇」は、儀仗の一種。周囲に雉の羽を並べて飾りとした大扇で、供の者が捧げ持って行く。
贈梁得濟 梁得済に贈る
負笈乗槎過海門 笈を負い槎に乗りて海門を過ぐ
五年聲氣在中原 五年 声気 中原に在り
雲山夜繞三秋夢 雲山 夜繞る 三秋の夢
詞賦香銷六代魂 詞賦 香銷ゆ 六代の魂
愛客陳蕃常下榻 愛客 陳蕃常に榻を下し
讀書董子不窺園 読書す董子 園を窺わず
異時若上平准雅 異時 若し上平して雅を准しうすれば
好以文章報國恩 好き文章を以て国恩に報いん
○梁得済 梁漢(のち津、康煕四年〔一六六五〕~康煕四十年〔一七〇一〕)・名嘉地親雲上、得済はその字。康煕二十一年に読書習礼のため(いわゆる勤学)に福州に赴き七年滞在した。康煕三十六年接貢存留通事として魏士哲に随行する予定だったが、病気のため辞退している。健康上の理由もあって七年の留学経験は、使節としての任務よりも、使節の持参する公式文書や碑文などの作成に生かされた。○六代魂 中国の南北朝時代の南朝の精神のこと。○愛客 気に入った客。○陳蕃下榻 『蒙求』の標題。後漢の陳蕃が特に一榻を懸け置いて、徐穉らを優遇した故事。賓客を敬するたとえ。○董子不窺園 『蒙求』の標題に「董生下帷」とある。漢の董仲舒が帷を下ろして弟子に講誦し、三年園を窺わなかった故事。○上平 抬頭すること。文章を書くとき、貴人に関することを他の文字の下に書かず、次の行のはじめに書くこと。
曾子浴歸自長溪與予同過瓊河古驛訪梁得聲夜話并索其新詩讀之
曽子浴長渓より帰り、予と同に瓊河の古駅を過ぎ、梁得声を訪ねて夜話り、并せて其の新詩を索めて之を読む
同過瓊河訪所知 同に瓊河を過ぎて知る所を訪ね
江天明月照峨嵋 江天明月 峨嵋を照らす
故人千里歸閩嶠 故人千里 閩嶠より帰り
獨客三年讀楚詞〈得聲留閩三載未歸〉 独客三年 楚詞を読む〈得声閩に留り三載未だ帰らず〉
草閣久懸徐穉榻 草閣久しく懸く 徐穉の榻
花溪新賦杜陵詩 花溪新たに賦す 杜陵の詩
由來萍水相逢好 由来萍水 相逢ふを好み
且盡燈前酒一巵 且らく尽くす 燈前 酒一巵
○梁得声 梁鏞(康煕二年〔一六六三〕~康煕四十一年〔一七〇二〕)・ 国吉親雲上、得声はその字。康煕二十四年に読書習礼のため福州に赴き六年滞在。帰国後、同三十年に接貢存留通事として渡清したのを始め、数回の渡清の経験がある。○瓊河 福州の柔遠駅(琉球館)の側を流れて閩江に注ぐ川。○楚詞 中国楚の地方の歌。○徐穉榻 「陳蕃下榻」『蒙求』の標題。前出「贈梁得濟」詩(五五ページ)の注参照。○杜陵 杜甫のこと。○萍水 うきぐさが水のまにまにただよう意で、人が偶然に出会うたとえ。王勃の〔滕王閣序〕に「萍水相逢、尽是他郷之客」とある。
上巳仝梁本寧得聲得濟陳魯水金浩然遊鳥石山觀朱夫子石室清隱石刻
上巳、梁本寧・得声・得済・陳魯水・金浩然と同に鳥石山に遊び、朱夫子の石室に清隠の石刻を観る
吾道如今喜在南 吾れ道う 今南に在るを喜ぶが如し
横經子弟説新安 経を横えて 子弟に新たに安んぜるを説く
勝遊嚢滿蘭亭草 勝遊 嚢に満つ蘭亭の草
清隱風高石室寒 清隠 風高く石室寒し
苜蓿千秋香海國 苜蓿千秋 海国に香り
杏花三月落山壇 杏花三月 山壇に落つ
最憐有宋多逋客 最も憐む 宋に多く逋客有りしも
墨蹟猶留石上看 墨蹟猶お石上に留むるを看る
○梁本寧 梁邦基(順治七年〔一六五〇〕~康煕四十二年〔一七〇三〕)・内聞親雲上、本寧はその号。康煕十九年に進貢小船通事となって渡清し、以後、康煕二十四年・同三十七年の三回渡清している。○陳魯水 陳其洙(康煕六年〔一六六七〕~康煕三十三年〔一六九四〕)・幸喜通事親雲上、魯水はその字、号は道丈。康煕二十三年読書習礼のため福州に渡り六年滞在。康煕三十一年に存留通事として渡清した。○金浩然 金傅(康煕七年〔一六六八〕~康煕四十七〔一七〇八〕年)・手登根通事、浩然はその字。康煕二十三年読書習礼のため福州に渡り、同二十七年には朝京都通事にしたがって北京に赴き、同三十二年・三十六年・四十二年と渡清の経験がある。○鳥石山 福州市街の中央部にあり、于山・屏山(越王山)と城内三山をなす。また、全山いたる所に磨崖石刻があり、省クラスの重要文化財になっている。○苜蓿 草の名。うまごやし。○逋客 世をのがれ避けている人。隠者。
題鄭克叙小影(其一) 鄭克叙の小影に題す(其の一)
海邦曾道使君賢 海邦曽て道う 使君賢なりと
風雅人誇是謫仙 風雅人誇る 是れ謫仙
落筆懶題鸚鵡賦 落筆して懶く題す 鸚鵡の賦
開凾應續鷓鴣篇 函を開きて応に続くべし 鷓鴣の篇
千秋嘯傲長松下 千秋嘯傲す長松の下
三徑行吟蔓草邊 三径行くゆく吟ず 蔓草の辺
尺幅圖成秋未老 尺輻の図成るも 秋未だ老いず
東籬猶帶菊花烟 東籬猶お帯ぶ 菊花の煙
○鄭克叙 鄭士綸(順治十八年〔一六六一〕~康煕四十一年〔一七〇二〕)・宮城通事親雲上、克叙はその号。康煕二十一年存留通事となって福州に渡り、四年間滞在して帰国。その後、康煕二十五年・同三十一年・三十八年・四十年に渡清している。○小影 小形の肖像。○謫仙 天上の世界から、罪によって地上の人間界に流された仙人。俗世間を超越している人をほめて言うことば。「李白伝」に李白のことを「謫仙人なり」と言っている。○鸚鵡賦 文章の名。後漢の禰衡の作。○鷓鴣篇 鷓鴣は鳥の名。鷓鴣をよんだ詩句。○三径 庭の三つの小道。漢の蒋詡が庭に三径を作り、松・菊・竹を植えた故事から、隠者の住居の庭をいう。○東籬猶帶菊花烟 隠逸詩人の柤といわれる陶淵明の〔飲酒〕の詩(其五)に「采菊東籬下」という句がある。菊を東籬の君子という。
同 (其二) 同 (其の二)
賢勞舊識濟時才 賢労 旧より識る 済時の才
錦纜牙檣泛海來 錦纜牙檣 海に泛かべて来たる
仗節中原孤劍在 中原に仗節するに剣在り
擁書南面百城開 書を擁して南面し百城開く
芒鞵月印松花徑 芒鞋月に印す 松花の径
瓦竈烟清竹葉杯 瓦竈煙清し 竹葉の杯
覽勝他年過冀北 覧勝す他年 冀北を過ぎ
相逢好共話燕臺 相逢いて好しく共に燕台に話らん
○済時才 世の困難を救う才能。杜甫の〔送王十五判官扶持還黔中得開字〕の詩に「艱危深仗濟時才」とある。○芒鞋 わらぐつ。賤しい者のくつ。○竹葉 酒の名。○冀北 冀州の北部。名馬の産地。
秋夜望中樓懷梁本寧 秋夜中楼を望みて梁本寧を懐う
寂寂江樓獨閉門 寂寂たる江楼 独り門を閉し
驚心荒草暗銷魂 荒草に心を驚かし 暗に銷魂す
浮雲隔水秋聞雁 浮雲水を隔てて秋の雁を聞き
殘月空山夜聽猿 残月空山 夜猿を聴く
作賦有誰悲宋玉 賦を作るも誰か宋玉を悲しむこと有らん
相思何忍負王孫 相思うも何ぞ忍ばん 王孫に負けるを
今宵莫漫愁岐路 今宵 漫りに岐路を愁うる莫かれ
不盡離情寄酒樽 尽きざる離情 酒樽に寄す
○梁本寧 前出(五六ページ)の注参照。○銷魂 非常な悲しみやおどろきのために、たましいがぬけたようになる。○宋玉 戦国時代の楚の国のひと。屈原の弟子。○王孫 王者の子孫。
秋夜望中樓懷梁得濟 秋夜中楼を望みて梁得済を懐う
古驛蕭條四壁空 古駅蕭條として 四壁空し
傷心渭北與江東 傷心す渭北と江東にあるを
一天霜月懷人夜 一天の霜月 人を懐う夜
半榻秋山落葉風 半榻の秋山 落葉の風
鴻雁不來消息遠 鴻雁来たらず 消息遠く
蒹葭中斷夢魂通 蒹葭中断し 夢魂通ず
故園歸去如相憶 故園に帰り去るも 相憶うが如し
回首琴臺曲未終 回首す琴台 曲未だ終わらざるを
○梁得済 前出(五五ページ)の注参照。○渭北與江東 遠方にある友を思うこと。ひとりは渭水の北に、他は揚子江の東にあって、たがいに思いをはせる意。杜甫〔春日憶李白〕の詩に「渭北春天樹、江東日暮雲」とある。○蒹葭 「蒹葭秋水之情」の意にとる。哲人または朋友を思う心。『詩経』「秦風・蒹葭」に「蒹葭蒼蒼、白露為霜、所謂伊人、在水一方」とある。
送蔡聲亭入貢 蔡声亭の入貢するを送る
曾聞黄絹舊中郎 曽て聞く黄絹の旧中郎
此日分符入 帝郷 此の日 符を分ちて 帝郷に入る
航海帆飛仙客掉(棹カ) 航海帆を飛ばす 仙客の棹
登朝袖惹御爐香 登朝すれば 袖を惹く御炉の香
公餘常誦詩三百 公余 常に誦す 詩三百
望重偏宜使四方 望い重ねて偏えに宜し 四方に使いす
握手未幾愁判袂 手を握りて未だ幾ばくならず 判袂するを愁い
一樽梅雨斷人腸 一樽梅雨 人腸を断つ
○蔡声亭 蔡鐸(順治元年〔一六六四〕~雍正二年〔一七二四〕)・志多伯親方、字天将、号声亭。蔡温の父。康煕二年二十三歳の時勤学となって福州に渡るが、病気のため同年帰国。その後、康煕二十一年・同二十七年に使節として渡清している。康煕三十年(一六九一)から二十二年間総理唐栄司(久米村総役)をつとめ、『歴代宝案』、『中山世譜』などの編纂にあたった。○黄絹 黄色いきぬ。すぐれた文章。○中郎 官名、宿衛侍直をつかさどる。○詩三百 『詩経』のこと。『論語』に「子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪」とある。○判袂 たもとを分かつ。別れること。
十二夜蔡文敏竹樓坐月遲竺鏡筠不至
十二夜、蔡文敏の竹楼に坐し、月遅く竺鏡筠至らず
疑是王家舊竹樓 疑うらくは是れ 王家の旧竹楼かと
樓前風湧大江秋 楼前 風湧く 大江の秋
蘆花曲港藏漁火 蘆花曲港 漁火を蔵し
楊柳空村繋釣舟 楊柳空村 釣舟を繋ぐ
明月不隨流水去 明月 流水に随わずして去り
浮雲盡向海門收 浮雲 尽ごとく海門に向かいて収まる
清光此夜人何處 清光 此の夜 人何れの処ぞ
寂寂南州一榻留 寂寂たる南州 一榻を留む
○蔡文敏竹楼 祭文敏は福州の柔遠駅にいた琉球の人だが、詳しい伝記は不詳。竹楼は、その書斎の堂号。○竺鏡筠 福州の柔遠駅で琉球の使節や勤学らと親しく交流した人物。程順則の編纂した『中山詩文集』に収録されている「雪堂贈言」に作品がある他、「翠雲楼詩箋」(周新命)の序文も書いている。
冬夜同王孔錫王邦菴集梁得聲山樓夜話分得溪字(其一)
冬夜王孔錫・王邦菴と同に梁得声の山楼に集い、夜話して渓の字を分け得たり(其の一)
草閣霜深夜 草閣 霜深き夜
愁聞旅雁啼 愁いて聞く 旅雁の啼くを
潮来孤掉(棹カ)急 潮来たりて 孤棹急に
烟鎖萬山低 煙に鎖ざされて 万山低し
平野蕭蕭竹 平野 蕭蕭たる竹
寒蘆曲曲溪 寒蘆 曲曲たる渓
談心知舌短 心を談ずるに 舌の短きを知り
不覺月沈西 覚えず 月の西に沈むを
○王孔錫・王邦菴 どちらも福州の柔遠駅で琉球人と親しくしていた人物と思われるが、今のところ詳しい伝記は不詳。○梁得声 前出(五六ページ)の注参照。○舌短 言葉の不明瞭なことをいう。
同(其二) 同(其の二)
古驛踈林晩 古駅 踈林晩れ
霜深鳥倦啼 霜深くして 鳥啼に倦む
南天連野闊 南天 野に連なりて闊く
北斗落城低 北斗 城に落ちて低し
樓下三人榻 楼下 三人の榻
潮平半夜溪 潮平らかなり 半夜の渓
清鐘何處寺 清鐘 何れの処の寺ぞ
疑在白雲西 疑うらくは白雲の西に在るかと
雨夜留宿蔡禎菴山樓同竺鏡筠詩話
雨夜蔡禎菴の山楼に留宿し、竺鏡筠と同に詩を話る
頻年弾鋏負生平 頻年弾鋏して 生平に負き
榻下江樓百感并 榻を江楼に下して 百感を并ぶ
四壁嵐光沈劍氣 四壁の嵐光 剣気を沈め
一溪漁火濕潮聲 一渓の漁火 潮声を湿らす
鐘催宿鳥深林夢 鐘は催す 宿鳥深林の夢
草帶王孫舊日情 草は帯ぶ 王孫旧日の情
中夜與君談往時 中夜 君と往時を談じ
蕭蕭風雨暗孤檠 蕭蕭たる風雨 暗き孤檠
○蔡禎菴 福州の柔遠駅に滞在していた人物だが、伝記は未詳。○竺鏡筠 前出(五九ページ)の注参照。○頻年 毎年。連年。○弾鋏 刀剣のつかをたたく。斉の孟嘗君に仕えた馮驩が刀のつかをたたいて不満をもらし、待遇を良くしてもらった故事。貧しい者が俸祿や地位を求めるたとえ。○檠 ともしび。灯火。
秋夜望中樓懷梁得濟 秋夜中楼を望みて梁得済を懐う
重過山樓半榻懸 重ねて山楼を過ぎれば 半榻懸かる
誰知秋思落江邊 誰か知らん 秋思江辺に落つるを
蒹葭舊是懷人草 蒹葭 旧より是れ人を懐う草
楊柳誰能繋客船 楊柳 誰か能く客船を繋がん
異地雖同天際月 異地 天際の月を同じくすると雖も
愁心空遶海門烟 愁心空しく遶る海門の煙
無情最是衡陽雁 無情なるは 最も是れ衡陽の雁
不見音書又一年 音書を見ざること又一年
○梁得済 前出(五五ページ)の注参照。○衡陽雁 湖南省の衡陽県。「衡陽雁断」のこと。衡陽に回雁峰があり、雁がとんで来ても、この峰を越えることができないという。転じて、音信の絶えることをいう。
春日留飮周熙臣山樓 春日周熙臣の山楼に留飲す
山樓結搆(構カ)絶塵埃 山楼の結構 塵埃を絶つ
春到階前長緑苔 春階前に到れば 緑苔長ず
竹葉堆門縁客掃 竹葉門に堆り客に縁りて掃い
桃花滿樹待人開 桃花樹に満ちて人を待ちて開く
潮平遠浦漁郎渡 潮平らかなる遠浦 漁郎渡り
簾捲東風燕子來 簾を捲く東風 燕子来たる
不識濂溪携手後 識らず 濂渓手を携えし後
可能容我再啣杯 能く我を容して再び杯を啣む可きを
○周煕臣 周新命(康煕五年〔一六六六〕~康煕五十五年〔一七一六〕)・目取與親雲上、煕臣はその字。康煕二十七年読書習礼のため福州に赴き七年滞在。帰国後は、渡清の経験はなく、もっぱら講解師などとして、教育の分野で活躍している。程順則編『中山詩文集』に詩集「翠雲楼詩箋」が収録されている。
春杪瓊川阻雨因過蔡聲亭山樓茶話
春杪瓊川にて雨に阻まれ、因りて蔡声亭の山楼を過ぎて茶話す
芳草萋萋古驛門 芳草萋萋たり 古駅の門
連朝風雨客銷魂 連朝の風雨 客 銷魂す
一江烟遶遲歸掉(棹カ) 一江 煙遶りて 帰棹遅れ
萬樹雲深失遠村 万樹 雲深く 遠村を失す
最喜孤窓逢陸羽 最も喜ぶ 孤窓に陸羽に逢い
敢言十日在平原 敢えて言わんや 十日平原に在らんと
高吟不爲蕭條改 高吟して蕭條たるを改むるを為さず
好以新詩細共論 好しく新詩を以て細かに共に論ぜん
○陸羽 唐の人。茶道の開祖。ここでは、蔡声亭を陸羽になぞらえた。○蔡声亭 前出(五ハページ)の注参照。
秋江雨泛同雪堂諸子 秋、江雨ふり雪堂の諸子と同に泛かぶ
布帆遙挂荻蘆洲 布帆遥かに挂く 荻蘆の洲
草痩桐孤嘆倦遊 草痩桐孤 遊びに倦むを嘆く
山霧四園横小鳥(島カ) 山霧四園 小島を横たえ
溪雲千丈鎖輕舟 渓雲千丈 軽舟を鎖す
烟深石燕隨潮轉 煙深く石燕潮に随いて転じ
風急江豚趁水流 風急に江豚水流に趁う
惆悵五湖尋范蠡 惆悵たる五湖 范蠡を尋ね
不堪雨裏更逢秋 堪えず 雨裹更に秋に逢わんとは
○荻洲は、おぎのはえている洲。蘆洲は、あしのはえている洲。○江豚 海獣の名。鯨の一種、脂が多く灯油とする。○惆悵 うれえ悲しむ。○范蠡 春秋時代の越の功臣。越王勾践を助けて、呉王をうち会稽の恥をすすいだが、後官を辞して湖に泛かんで去った。
吾兄詩酒繼陶君爲中山程寵文賦
吾が兄の詩酒陶君を継ぐ、中山程寵文の為に賦す
情如潭水氣如雲 情は潭水の如く気は雲の如し
栗里編年更有君 栗里編年 更に君有らん
常借漢書供下酒 常に漢書を借りて下酒を供え
多因秦火細論文 多くは秦火に因り 細かに文を論ず
一樽留客逢秋早 一樽客を留め秋早に逢い
五斗勞人説夜分 五斗人を労し 夜分に説く
他日武陵溪上過 他日武陵 渓上を過ぎ
好看桃葉落繽紛 好みて看ん 桃葉落つること繽紛たるを
○程寵文 前出(五三ページ)の注参照。○陶君 酒が好きで詩文に巧みな陶淵明のこと。○栗里 陶淵明の故居のあったところ。当時の彭沢県、今の江西省星子県にある。ここに、人が臥した形の大きな石があり、酔った淵明がこの石の上で臥したと伝えられる。○下酒 下酒物のこと。酒のさかな。○秦火 秦の始皇帝が民間の書物を焼いたこと。○五斗 蕭統の「陶淵明伝」に「我豈能為五斗米折腰向郷里小児」とある故事による。○夜分 よなか。夜半。○武陵 陶淵明が理想郷を書いた「桃花源記」に登場してくる漁師の村。○繽紛 花などがさかんに散ること。
江樓雨夜集飮越日蔡文敏歸中山
江楼に雨夜集飲し、越日蔡文敏中山に帰る
江樓惜別雨蕭蕭 江楼に惜別すれば 雨蕭蕭たり
明日歸帆趁早潮 明日帰帆し 早潮を趁う
滿載琴書旋故國 琴書を満載して故国に旋るも
尚留魂夢寄中朝 尚留む 魂は夢に中朝に寄るを
離亭楊柳愁攀折 離亭の楊柳 愁いて攀じて折り
古驛芙蓉嘆寂寥 古駅の芙蓉 寂寥を嘆く
祇恐鷄鳴天欲曙 祇だ鶏の鳴きて天の曙ならんと欲するを恐れ
高燒銀燭話通宵 高く銀燭を焼きて話りて通宵す
○蔡文敏 蔡氏の人で、福州にいた人物だが未詳。
夏杪同諸子雪堂夜飮得秋字
夏杪諸子と同に雪堂に夜飲し秋の字を得たり
客裏忘爲客 客裹 客為るを忘れ
啣杯共倡酬 杯を啣みて共に倡酬す
鐘聲潮落夜 鐘声 潮落の夜
天氣晩來秋 天気 晩来の秋
香水歸蓮渚 香水 蓮渚に帰し
閒雲土石樓 閒雲 石楼に上る
祇愁更漏促 祇だ愁う 更に漏の促すを
秉燭好同遊 燭を秉る 好き同遊
○雪堂 程順則(寵文)の堂号。○香水 よいにおいのする泉。○閒雲 しずかな雲。世俗にわずらわされないこと。○漏促 時間を計る漏刻が時をせかせること。○秉燭 あかりをとること。
喜同王孔錫盧若采夜集程寵文雪堂話月分得七陽
王孔錫・盧若采と同に夜程寵文の雪堂に集い、月を話り分ちて七陽を得たるを喜ぶ
愛客樓前江水涼 愛客楼前 江水涼し
相逢不厭話清狂 相逢うて厭わず 清狂を話る
風聲人夜松疑雨 風声夜に入り 松 雨かと疑い
天氣將秋月似霜 天気将に秋ならんとして 月 霜に似たり
好友向來推二仲 好友向来 二仲を推す
新詩今復見三唐 新詩今復た三唐を見る
主人能繼河南後 主人能く継ぐ河南の後
琴史蕭蕭酒滿觴 琴史蕭蕭として 酒觴に満つ
○愛客 気にいった客。○清狂 世俗にとらわれず放逸な行いをするもの。○二仲 漢の隠士羊仲と求仲のこと。○三唐 文学史上、詩がもっとも栄えた唐を初唐・盛唐・晩唐の三つに区分すること。○河南 宋の尹洙のこと。河南の人で、博学で世に河南先生と称せられた。
和程寵文壺川尋牛田休隱居韻(其一)
程寵文の壺川に牛田休の隠居を尋ぬるの韻に和す(其の一)
欲隠壺川便乞休 壺川に隠れんと欲して 便ち休みを乞う
相親喜有水中鷗 相親しみて喜び有り 水中の鷗
門開古洞桃花在 門は古洞に開きて桃花在り
客到孤山鶴徑幽 客は孤山に到りて鶴径幽なり
緑野堂前樓鳳竹 緑野堂前 樓鳳の竹
青簑江上釣魚舟 青簑江上 釣魚の舟
挂冠當日歸來後 挂冠当日 帰り来たる後
萬磴松聲一夜秋 万燈松声 一夜の秋
○牛田休 程順則と関係のあった隠者だが、その人物については未詳。○挂冠 かんむりを脱いで柱などにかける意で、官職を辞すること。後漢の逢明が王莽に仕えることを好まず、かんむりを東都の城に掛け、他地にのがれた故事にもとづく。○万燈 長く続く石段。また、石の坂道のこと。
同(其二) 同(其の二)
誰能馬上告歸休 誰か能く馬上にて帰休を告げん
羨爾忘機狎野鷗 爾の忘機して野鷗に狎れるを羨む
兩鬢曾因王事白 両鬢曽て王事に因りて白し
數家倶傍丈人幽 数家倶に傍す 丈人の幽
門前初種陶潛柳 門前初めて種えたり 陶潜の柳
溪口時揺范蠡舟 渓口時に揺れる 范蠡の舟
結屋深林無暦日 屋を結ぶ深林 暦日無し
閒看花草記春秋 閒かに看る花草の春秋を記するを
○忘機 欲念をはなれて心がさっぱりする。機は心のはたらき。李白の〔下終南山過斛斯山人宿奧酒〕の詩に「我酔君亦楽、陶共忘機」とある。○丈人 老人。老人は杖を使うからいう。徳のある長老の尊称。○陶潜柳 陶潜は自宅の庭に五本の柳を植えて自ら「五柳先生」と称していた。○范蠡 前出(六一ページ)の注参照。
夜宴程氏雪堂 夜、程氏の雪堂に宴す
旅邸如年靜 旅邸 年の如く静かに
秋風一雪堂 秋風 一雪堂
星河高碧漢 星河 高き碧漢
楊柳帶青觴 楊柳 青觴を帯ぶ
座上氷壺潔 座上 氷壺潔く
城頭玉漏長 城頭 玉漏長し
葡萄香未散 葡萄 香未だ散ぜず
深喜飮西涼 深く喜びて西涼を飲む
○程氏雪堂 程順則の書斎の堂号。○氷壺 氷を入れた玉の壺。転じて、心の純白清潔なこと。○西涼 西域産の酒の意味にとる。「涼」に、すみざけ、うすざけの意味がある。また、みずを加えた酒。
冬杪讌集程寵文雪堂喜同方徳祖鳳泰良蔡紹齋夜話
冬杪程寵文の雪堂に讌集し、喜びて方徳祖・鳳泰良・蔡紹斎と同に夜話す
年年下榻古瓊河 年年下榻す 古の瓊河
此夜相逢喜更多 此の夜相逢うて喜び更に多し
肝膽故人重握手 肝胆の故人 重ねて手を握り
風流新貴共高歌〈紹齋奉使至閩予初謀面〉 風流の新貴 共に高歌す〈紹齋使を奉じて閩に至りて予初めて謀面す〉
草堂猶帶河南雪 草堂猶帯ぶ 河南の雪
狂士空餘下邳波 狂士空余す 下邳の波
豈有雄談驚四座 豈に雄談の四座を驚かすこと有らんや
感君青盻愧如何 君が青盻に感じて 愧を如何せん
○方徳祖・鳳泰良 両者とも福州の人と思われるが未詳。○蔡紹斎 琉球の人物と思われるが未詳。○下榻 賓客を迎え留めるたとえ。後漢の陳蕃が、群内の高士周摎のために特に一つの腰掛けを用意した故事にもとづく。○瓊河 前出(五六ページ)の注参照。○下部 今の江蘇省の省邳県にあり、漢の張良が黄石公に会ったところ。○青盻 「盻」は見る、にらむ意。「青眼」と同じ意にとる。親しい人に対する目つき。愛する目つき。
元夕宴集程寵文立雪堂分得歡字
元夕、程寵文の立雪堂に宴集し、分けて歓の字を得たり
火樹因人暖 火樹 人の暖かさに因り
春星帶雪寒 春星 雪の寒さを帯ぶ
霞杯傾琥珀 霞杯 琥珀を傾け
氷簟繍琅玕 氷簟 琅玕を繍とる
賓主東南美 賓主 東南の美
江天上下看 江天 上下を看る
良宵頻度曲 良宵 頻りに度る曲
何處不稱歡 何れの処か 歓に称わざらん
○立雪堂 程順則(寵文)の書斎の堂号、たんに「雪堂」ともいう。○火樹 灯火の光の盛んなこと。『故事成語考』に「火樹銀花合、指元宵灯火之輝煌」とある。○氷簟 清らかな臥牀。○琅玕 玉に似た美しい石。美しい文章のたとえ。
元夕同程寵文盧若采留飮蔡紹齋江樓
元夕、程寵文・盧若采と同に蔡紹斎の江楼に留飲す
春寒入夜擁重裘 春寒夜に入り 重裘を擁す
野外霜威折酒籌 野外霜威く 酒籌を折る
一帶江村連遠岫 一帯の江村 遠岫に連なり
萬家燈火映層樓 万家の灯火 層楼に映ず
開箋如對中郎絹 箋を開けば中郎の絹に対するが如く
倚檻疑登范蠡舟 檻に倚れば范蠡の舟に登れるかと疑う
安得樽前紅雪在 安んぞ樽前に紅雪の在るを得て
玉簫金管按梁州 玉簫金管 梁州を按でんや
○盧若采 福州琉球館に出入りしていた福州の人物だと思われるが未詳。○重裘 冬に着るかわごろもを重ねる。○酒籌 酒を飲んださかずきの数をかぞえる数とり。○遠岫 遠くの嶺。○中郎絹 中郎は官名。役人が書き物に用いる立派な絹の意にとる。○范蠡 前出(六一ページ)の注参照。○紅雪 桃の花の形容。○梁州 梁州曲のこと。楽曲の名。もと涼州につくる。
題程寵文立雪堂(其一) 程寵文の立雪堂に題す(其の一)
海東道統接南來 海東道統 南来を接す
羨爾家聲雪裏開 爾の家声雪裏開くを羨む
旅邸有人披氅至 旅邸人有り 氅を披きて至る
深深三尺擁江隈 深深たる三尺 江隈に擁す
◯氅 旗につけるかざりの毛。また、それをつけた旗。
同(其二) 同(其の二)
瓊川樓閣月如霜 瓊川の楼閣 月 霜の如し
疑是河南舊講堂 疑うらくは是れ河南の旧講堂かと
一片青氈君故物 一片の青氈 君の故物なり
梅花猶傍雪門香 梅花 猶お雪門の傍らに香るがごとし
○青氈 あおい色の毛でおった敷物。○君故物 程順則が使っていたもとの物。○雪門 立雪堂の門。
弔山花〈有引〉 山花を弔う〈引有り〉
余下榻程子雪堂其蒼頭從石鼓回折山花數朶挿膽瓶作清供余見其艶麗奪目嫣然可愛不減一捻紅惜當年不生於沈香亭畔百寳闌中以致名未登花譜徒與腐草零落於荒烟野露間與僕輩窮愁潦倒無異客窓對此不覺相視而泣矣因澆幾點墨汁呼花神而弔之
余程子の雪堂に下榻するに、其の蒼頭石鼓従り回るに山花数朶を折りて胆瓶に挿し清供と作す。余其の艶麗なるを見て目を奪わる。嫣然として愛す可きこと一捻紅に減ぜず。惜しむらくは当年沈香亭畔に生ぜざれば、百宝闌中以て名を致し、未だ花譜に登らず。徒らに腐草と荒煙野露の間に零落し、僕輩の窮愁潦倒すると異なること無し。客窓において此に対し、覚えず相視て泣けり。因りて幾点の墨汁を澆ぎ花神を呼びて之を弔う。
數枝高挿膽瓶看 数枝高く挿せる胆瓶を看るに
彷彿西京舊牡丹 彷彿たり 西京の旧牡丹
上苑幾時花落後 上苑 幾時ぞ 花落ちて後
斜陽無主鳥啣殘 斜陽 主無く 鳥も啣み残せり
班妃紈扇秋風老 班妃の紈扇 秋風に老い
蘇小香車夜月寒 蘇小の香車 夜月寒し
薄命紅顔同蔓草 薄命の紅顔 蔓草に同じ
誰憐空谷有芳蘭 誰か憐まん 空谷芳蘭有るを
○蒼頭 しもべ。めしつかい。○石鼓 鼓山のこと。○胆瓶 瓶の一種。長頸大腹で、胆を懸けた形をしたもの。○一捻紅 「楊家紅」ともいう。楊貴妃の口紅によって出来たという牡丹。○沈香亭 唐代、禁中にあった亭名。玄宗と楊貴妃とが木芍薬を賞して、李白を召して詩を作らせた。○潦倒 老衰したさま。おちぶれたさま。杜甫の〔登高〕の詩に「潦倒新停濁酒杯」とある。○西京旧牡丹 唐の都長安の牡丹。「引」にある一捻紅のこと。○班妃 漢の成帝の宮女班婕妤のこと。女流詩人。○蘇小 銭塘の名妓の名。○紈扇 白い練り絹のうちわ。江淹の詩に「紈扇如団月」とある。
送程寵文歸中山(其一) 程寵文の中山に帰るを送る(其の一)
迢迢驛路草含烟 迢迢たる駅路 草煙を含む
一曲驪歌唱可憐 一曲驪歌 唱すれば憐れむ可し
行仗虚懸雲霧裏 行住 虚しく懸く 雲霧の裏
使星高出斗牛邊 使星 高く出ず 斗牛の辺
門開五虎如飛掉(棹カ) 門 五虎を開けば 棹は飛ぶが如く
劍化雙龍欲上天 剣 双竜と化して 天に上らんと欲す
執手豈同兄女別 手を執るといえども豈に児女の別れと同じからんや
莫言無涙落君前 言う莫れ 涙 君が前に落とす無しと
○迢迢 遠いさま。はるかなさま。○驪歌 送別のうた。○行仗 旅にでる意にとる。○使星 使者の称。餞起の〔送岑判官入嶺〕の詩に「極目煙霞外、孤舟一使星」とある。○斗牛 北斗七星と牽牛のこと。
同(其二) 同(其の二)
江樓夜夜共論文 江楼 夜夜 共に文を論ず
何以逢君又別君 何を以てか君に逢い又君と別れん
海外名山傳馬齒 海外の名山 馬歯を伝え
閩中孤劍老龍紋 閩中の孤剣 竜紋老ゆ
汪倫情似桃花水 汪倫 情似たり 桃花の水
李白愁看日暮雲 李白 愁いて看る 日暮の雲
從此陽關三唱後 此れより陽関三唱の後
天風亂剪鶴無群 天風乱れ剪り 鶴の群無からん
○馬齒 ここでは、琉球にある慶良間列島の意。○汪倫 李白の酒友。李白の〔贈汪倫〕詩に「桃花潭水深千尺 不及汪倫送我情」とある。○日暮雲 杜甫の〔春日憶李白〕詩に「渭北春天樹 江東日暮雲 何時一樽酒 重与論細文」とある。首聯の「共論文」もこれを踏まえたもの。○陽関三唱 「陽関曲」の第四句を三回反復して歌う。「陽関曲」とは、唐の王維の〔送元二使安西〕詩の結句に「西出陽関無故人」とあるので言う。
同(其三) 同(其の三)
去年一榻下江城 去年一榻 江城に下し
此日離亭送汝行 此の日離亭す汝の行を送る
今古魂銷唯有別 今古魂銷するは唯だ別有るのみ
西南風好浪無聲 西南風好しく 浪は声無し
海邦歸去祇看日 海邦帰り去れば祇だ日を看ん
水驛由來不計程 水駅由来 程を計らず
所信君恩與臣節 信ずる所は 君恩と臣節なり
能令萬里片帆輕 能く万里をして片帆軽くならしめよ
○江城 川のほとりにある町。ここでは福州をさす。
同(其四) 同(其の四)
杳渺滄溟一望賖 杳渺たる滄溟 一望賖く
東歸全仗指南車 東帰 全て仗む 指南車
樽前難盡兩人話 樽前尽くし難し 両人の話
天上虚浮五月槎 天上虚しく浮く 五月の槎
澤國榴開紅似錦 沢国 榴開き 紅きこと錦に似て
海門浪靜白如沙 海門 浪静かにして 白きこと沙の如し
當年風送滕王閣 当年の風送る滕王閣
咫尺知君已到家 咫尺 君已に家に到れるを知る
○賖 とおい。遠く離れたさま。○指南車 中国古代の羅針盤。車の上に仙人の像を置きその手が常に南を指すようにつくったもの。○滕王閣 唐の滕王元嬰が洪州の都督の時に建てた。王勃に序と詩、王緒に賦、王仲舒に記がある。○咫尺 非常に近い距離。ここでは、航海が安全で、あっという間に海を越えて琉球の家に着くこと。
同(其五) 同(其の五)
無數南船下急湍 無数の南船 急湍を下る
好乗溪漲出閩安 好しく渓の漲れるに乗じて 閩安を出ず
飛帆斜捲千尋浪 飛帆斜めに捲く 千尋の浪
微雨陰添五月寒 微雨陰りを添う 五月の寒
島嶼蒼茫天際落 島嶼蒼茫として天際に落ち
魚龍出没水中看 魚竜出没して水中に看ゆ
我曾投筆過滄海 我曽て筆を投じて滄海を過ぎ
始識乾坤有大觀 始めて識りぬ 乾坤に大観有るを
○南船 南方の船。また、南方に行く船。○急湍 水がはげしくながれる。早瀬。○乾坤 天と地。大自然。○大観 りっぱなながめ。雄大なながめ。
同(其六) 同(其の六)
十載風霜獨爾知 十載風霜 独り爾を知り
河梁分手使人悲 河梁に分手し 人をして悲しましむ
郷關寂寞多魂夢 郷関寂寞として 魂夢多く
天地凄涼有別離 天地凄涼として 別離有り
樓上月明談劍夜 楼上月明 剣を談ずる夜
海東日出到家時 海東日出でん 家に到る時
隴頭驛使如相問 隴頭の駅使 如し相問わば
好折梅花寄一枝 好しく梅花を折りて 一枝を寄せん
○風霜 年年の変遷のこと。○河梁 川に架けた橋。「河梁之別」は、人を送って橋の上で別れること。漢の蘇武が匈奴を去るとき、親友の李陵が作ったといわれる詩に「携手上河梁」とある。○分手 離別。人と人が別れること。○魂夢 夢魂と同じ。夢の中にあるたましい。○隴頭 「隴頭音信」のこと。梅花を添えた書信をいう。呉の陸凱、范曄と相善く、江南太守であった時、梅花一枝と詩一首を隴頭の范嘩に寄せた故事にもとづく。陸凱の〔寄范曄〕詩に「折梅逢駅使、寄与隴頭人、江南無所有、聊附一枝春」とある。○駅使 役所の文書を伝達するひと。
同(其七) 同(其の七)
奉使曾推洛下豪 使を奉じて曽て推す 洛下の豪
兩年相封讀離騒 両年相対して 離騒を読む
情如潭水深千尺 情は潭水の如く 深さ千尺
髪散江關感二毛 髪を江関に散じ 二毛に感ず
絶島烟消星漢近 絶島 煙に消えて星漢に近く
好風帆挂海天高 好風に帆を挂ければ海天高し
他時憶汝連床話 他時 汝と床を連ねて話りしを憶う
爲檢箱中舊綈袍〈程子於予有解衣之雅〉 為に検す 箱中の旧綈袍〈程子予に解衣の雅有り〉
○離騒 「楚辞」の編名。戦国時代楚の国の屈原の作。王から信頼されない憂いを述べたもの。○二毛 白髪まじりの老人。○綈袍 あつぎぬの綿入れ着物。どてらの類。「綈袍恋恋」は、旧恩を思うこと。友情の厚いたとえ。○解衣 「解衣推食」のこと。己の着物をぬいで人に着せ、食をすすめる。転じて、恩を施す意。また、人を大切にする。
同(其八) 同(其の八)
牙籤猶挿講堂東 牙籤 猶お挿す 講堂の東
剪燭談經夜未終 燭を剪りて経を談じ 夜未だ終わらず
吾道尚留三尺雪 吾道尚留む 三尺の雪
仙舟旋挂一帆風 仙舟旋桂す 一帆の風
漢邊萬里歸張翰 漢辺万里 張翰帰り
帳裏頻年愧馬融 帳裹頻年 馬融に愧ず
日暖好看蜃吐氣 日暖かに好しく看る 蜃 気を吐き
空中樓閣跨長虹 空中楼閣 長虹の跨ぐを
○牙籖 象牙で作った書籍の標題の札。分類の見分けに用いる。韓愈の〔送諸葛覚往随州読書〕詩に「鄴侯家多書、挿架三万軸、一一懸牙籤、新若手未触」とある。○張翰 晋の呉郡の人。文を能くし、江東の歩兵といわれた。秋風にあって故郷呉の菰菜・専羹・鱸魚鱠を思い、官をやめて呉に帰った。○馬融 後漢の人。桓帝の時南郡太守となった。広く経学に通じ、鄭玄・盧植をはじめ千人以上の弟子を養成した。
同(其九) 同箕の九)
枕山詩草委沙泥 枕山詩草 沙泥に委す
獨檢焚餘授棗梨〈程子捐貲爲余刻詩〉 独 焚余を検し 棗梨に授く〈程子捐貲し余が爲に詩を刻す〉
喜有蛩吟傳異日 喜ぶは蛩吟の異日に伝わる有り
愁將驪唱補新題 愁いて驪唱を将て新題を補う
王通事業存房杜 王通の事業 房杜存し
晉室風流寄阮稽 晋室の風流 阮稽に寄す
歸去東溟詞賦重 東溟に帰り去りても 詞賦を重ねん
雪堂今好繼瀼西 雪堂今好く瀼西を継ぐ
○沙泥 すなとどろ。○棗梨 出版すること。むかし書物を刻する版木になつめや椰子の木を使ったのでいう。○蛩吟 こおろぎの鳴くこえ。自作を謙遜して言ったものと解する。○王通 隋の学者で、竜門の人。門人が文中子と諡した。房玄齢らに道を授けた。○房杜 唐の大宗の名臣、房玄齢と杜如晦のこと。○晋室風流寄阮稽 魏晋南北朝の晋王室は、江南に都をおいたため、自然の美しさを文章や詩にした詩人が輩出した。阮は阮籍のこと、稽は稽康のことで、いずれも竹林の七賢にかぞえられている。○瀼西 四川省奉節県にある。杜甫が住んでいた所で、明の万暦年間、ここに草閣を建てた。程順則の詩文の才能を偉大な杜甫になぞらえて讃えている。
同(其十) 同(其の十)
衆流歸海望無邊 衆流海に帰し 望めば無辺なり
送爾登舟意惝然 爾の登舟するを送れば 意惝然たり
黯淡一時帆上雨 黯淡たる一時 帆上の雨
光芒萬丈水中天 光芒万丈 水中の天
樓船金鼓臨風振 楼船金鼓 風に臨みて振え
雲漢旌旗借日懸 雲漢旌旗 日を借りて懸く
獻雉簡書頻入覲 献雉簡書 頻りに入覲し
重來知是舊張騫 重ねて来たるは知る是れ旧張騫
○黯淡一時帆上雨 「黯淡」はうすぐらい意。「帆上の雨」は船の帆に降りそそぐ雨の意。一句の意味は、程順則一行の船が出航した後、一時的にくもっていた空が、前途の安全を祈念するかのように晴れてきた。○光芒 ひかりの放射。○楼船 やぐらのある船。水上戦に使う船だが、琉球の進貢船は兵器を備えていたので、ここでは、進貢船の意。○獻雉簡書 貢物を献上し、文書を上呈して、臣下としての礼儀をつくすこと。○入覲 参内して天子にお目通りする。○張騫 前出(五五ページ)の注参照。