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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
(二)洪武五年(一三七二)正月甲子(十六日) 楊載を遣わし詔を持して琉球国を諭せしむ。詔に曰く「昔、帝王の天下を治むるや、凡そ日月の照らす所遠邇有ること無く一視同仁なり。故に中国奠安し四夷所を得、之に臣服するに意有るに非ざるなり。元政綱せずしてより天下兵争する者十有七年。朕、布衣より起ちて江左に開基し、将に命じて四に不庭を征せしむ。西に漢主陳友諒を平らげ、東に呉王張士誠を縛し、南に閩越を平らげ巴蜀を戡定し、北に幽燕を清めて華夏を奠安し、我が中国の旧疆を復す。朕、臣民に推戴せられて皇帝の位に即き、天下の号を定有して大明と曰い、洪武と建元す。是を用て外夷に遣使して朕の意を播告せしむ。使者の至る所の蛮夷の酋長、臣を称して入貢す。惟だ爾琉球、中国の東南に在り遠く海外に処れば未だ報知するに及ばず。茲に特に遣使し往きて諭せしむ。爾其れ之を知れ」。